安東次男『物の見えたる』1972,「見る」ことは同時に「創造」すること、凡人が及びもつかない「感性の教え」

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 全く凡人には読んで鞭打たれるような、感性の意味を、教え
られるというのやら、・・・・・そもそも安東次男という方は
何か?だが俳人、詩人、評論家、翻訳家、などとある。岡山県
の苫田郡、あの県北のサーキットのある、現在の話だが、子供
時代、一家に神戸に、何だか「悪魔の手毬唄」みたいだが神戸
二中から三高、東大経済学部、・・・・か、早くから加藤楸邨
に俳句を学んでいたと云う、それが機縁というこおtなのか。

 東京外語の教授で定年退官が1982,生没年は1919~2002,

 この本に収められた「断弦」と云う評論にはこうある。

 「いま、この一文を書こうとして、私は庭前の泰山木の葉裏
に集まった落日の光を眺めながら、ふとヴァン・ダイクの描い
た樹葉の不思議な厚みについて考えている。李長吉の・・・」
 
 とおいう文章で始まる、俳句を早くから学んだというその
感性とはこういうものなのか、となんとも鞭打たれるという
のか、正直、個人的には絶望の感慨である。

 眼の前の何気ない風景から西欧の絵画の筆の跡を思い浮かべ、
東洋の語句に連想をつなげるというのだから、それだけに既に
、著者の中に一つの確固たる感性の世界が確立されているとい
うことだろうか。しかも、その世界は、この本をちょっと読んだ
だけで古今東西の広範な芸術的表現に渡っているようだ。そのこ
とは全く、凡人が到底、及びもつかない、レベルと広さである。

 と云いながら、それで終われば単なる知ったかぶり、衒学にし
かならないだろうが、・・・いかに表向き洗練でも、である。
つまり安東次男はこれに続けて、一つの対象から触発される精神
状態は、様々な表現に仕立て上げることができる、というのは嘘
でしかなく、詩なら詩、俳句なら俳句にしか、なり得ないという
のだ。例えば最初の例示で泰山木については、「最初、私が、ヴ
ァン・ダイクの光を持つ樹葉の厚みを思った時、すでにそこには、
短歌も俳句も忍び込む余地はなかった」というのだ。

 「物が見える」とは精神の働きの反射なのだから、このような、
いわば、抜き差しならない世界を、自己の内面に創り上げる、と
いうことなのだろうか。本書は主として詩歌に関するものと、ま
た造形芸術、特に焼き物に関するものと、前後三十篇ほどの評論
を収録している。まったくどの一篇も、この誤魔化しのきかない、
ぬきさしならない世界を表現しようとしている。

 たとえば芭蕉や蕪村の俳句、李朝の高麗徳利についても「物を
見る」ことの卓抜さが「創造する」と云う精神の働きである、と
云うことを示していて、これで詩や工芸を一気に収めうる方法論
というのか思想ということで、・・・・・イヤハや凡人には、だ
がもっと自分が若ければという絶望に駆られる。

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