『若草色の汽船』石川光男、戦争が人間を悪魔化の悲惨

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 石川光男とは1918~1981,東京都出身1943年、25歳で応召、
1945年、乗船していた特務艦が魚雷攻撃を受け沈没、奇跡の
生還を果たす。戦後は新潮社に勤務、かたわら児童文学を執筆
、代表作が1963年に゙刊行の『若草色の汽船」である。

 25歳で招集され、海軍に入り、1946年、ヴェトナムから復員
した。この作品は少年向け作品だが内容は本当にシリアスとい
うか、深刻である。著者の実際の戦争体験に基づいているよう
だ。新潮社勤務といって児童雑誌、出版の編集、企画に携わっ
ただけあって小難しい文学の臭気がないと思う。

 若草丸とはイギリスのリヴァプールで1915年に進水した、
若草色の塗装がよく似合う6500トンの貨物船であるという。こ
の若草丸自身が語り手となっているのが少年文学らしい。「若
草丸」というタイトルだが、塗装が若草色というだけで艦名は
最初、「スーザン」、から「柳妃」、ついで「黒姫」、すべて
女性名というが「黒姫」?もだろうか。姫だから女性名なのだ
ろうが。進水式でシャンパンが割れず、6度失敗したと言うか
らその行く末は容易でないと想像された。

 浸水、エンジン故障、振動過多、トラブルは次々に起こった。
中国の海賊船に出会ったり、中国の軍隊の船に鞍替えさせられ
たり、日本の特務工船に変身したり、1915年進水から苦難を重
ねた。 で日本軍に徴用され、工作船「黒姫」となってからが
著者の体験とも重なって話の中心となる。1943年、昭和18年の
秋、澎湖諸島の馬公を出発、南方海域に出動、1945年に゙魚雷を
くらった。しかも三本も。そこでインドシナ半島南端沖で沈没、

 だが一人の若い兵士の不幸話となる。実話だろう、17歳で海
軍に志願した加賀見一等兵「そのうち主計兵にあげてやる」と
いう徴兵担当の言葉を真に受け、暴力と野蛮酒乱の渦巻く機関
科から主計科に転じようと希望を出し、機関科の上巻から散々
な暴力を受ける。挙げ句についに精神に異常をきたす。さらに
悪いことに「黒姫」沈没のとき隔離病室に閉じ込められていた
加賀見は脱出できず、そのまま船と海底に沈んでしまう。

 著者は同乗していて奇跡の生還を果たした、だがこの若い兵
士の悲惨が心に染みていたのだろう。軍隊が悪い、野蛮、理不
尽だ、しかし戦争がそうさせている。だが戦争となって悪魔と
なる人間というものはどうなのだ、沈みゆく船に託し、根本的
な絶望にさいなまれる。多くの命を無慈悲に奪った戦争であっ
た。

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