西條八十『我愛の記』1962,国民詩人の万感の懐いの随筆


 西條八十さんは戦時下において日本文学報国会詩部会の
幹事長を務め、多くの軍歌の作詞を行った。ために終戦後、
「西條八十、戦犯か」とも報じられ、青酸カリをつねに持
ち歩くという断崖絶壁の心境にあった。で、亡くなられた
のが1970年か、78歳。しかし、まさに国民詩人と云えた。
1962年、昭和37年に刊行された『我愛の記』実は福岡の西
日本新聞のちょうど100回連載された連続エッセイである。
古書、「日本の古本屋」サイトでなお購入できる。

 「別離」、「風景」、「哀歓」、「孤独」の四章に分かれ
ている。各章のタイトルと内容との関連は「つかず離れず」
の糸を引き合い、そこに仄かな試乗が漂う。「あとがき」に
は「・・・これが亡き妻を記念する書となったことをうれし
くおもう。そんあわけで書名も『我愛の記』と改めてみた」
とある。

 とにかく人々の心の染み入る名曲の歌詞をまず多く、かぞ
えきれないほど作られ、また叙情詩人としても評価は高い。
この本については西條八十さんの数多くの体験談、外国の詩
、小説の再話など、それぞれ感銘深く、興味深い、以上に読
んでなにか万感の思いが込み上げてくるように思える。

 さり気なく語る体験談もただの叙述ではなく、小説的であり
、読者の興味も、適度な好色やユーモアから知らぬ間に抒情の
世界に連れて行かれそうになる。ともかく西條八十さんのよう
に真の意味で国民的、というより民衆的な詩人にはいい話が、
自然周囲に集まってくるような感じを受ける。

 思い出の「唐人お吉の歌碑」、「老妻の死」を冒頭に、外国
の話も湧き出る。「リルケ」に出てくる図書館の話は。読書の
至福を思い知らせてくれそう。「故郷」に出てくるイギリスの
詩人のカメの話は美しく物悲しい。「教訓は西條八十さんが大
学を出る間際の卒論のはない、「・・・・・とうとう論文提出
前後になって、のくは力尽きてあきらめ、そのことを恩師であ
る吉江先生のところに伝えに行った。すると先生は微笑し『
きみ、重い荷物を背負って峠をのぼる人が、もう一歩も歩けな
くなって、荷物を投げ出そうとするとき、そのときこそ峠の頂
上が近づいている時なんだよ。騙されたとおもって、一踏ん張
利して見るんだね』」

 そこで西條さんは踏ん張って徹夜して論文を書き上げた。

 西條八十さんが亡き妻に捧げた詩、また表紙カバーの裏の
娘さんの手記を読むと家庭人としても非常に幸福な方だった
と思う。西條さんの死後、突如、批判めいたコメントも噴出
したのも事実だ。それは仕方がないことであり、人が全て要
領よくふるまえるわけではない。西條さんが昔、新国劇のた
めに書いた「右の芸術、左に大衆」というフレーズは西條さ
ん、自身へ向けられた言葉であろう。

 帝国ホテルでの宝塚・楠かほるさんとの対談

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