連日、耳にタコが出来る、EV礼賛、水素社会の大合唱の記事、あまりにひどい大衆操作と愚民化

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 もっとも日本だけがEV,EVの大合唱ではないのだから仕方
ない面もあるにせよ、世界の潮流は明らかに異常である。だ
がそれが現実だから、もう日本も国を挙げてそのドグマに従
うしかない、だからメディアも政府方針で、また大企業も、
トヨタが「新方針」を発表するそうだが、もうどうせ内容は
わかっている。「これからはEV,水素エネルギーFCVを」とい
うことだが、現実、何一つ新しいものも真の意味の技術革新
はない。BEV,バッテリー電源のみのモーター駆動車はエンジン
車より歴史は古く実用化もエンジン車に先行していた。水素
燃料電池の歴史も古い、1950年代末の日本の雑誌も石油連盟
が大きく水素燃料電池を意見広告している。本来、欧州には
歴史的に「人類の叡智」と「人類の愚かさ」が集約している。


 BEVは模型自動車の乾電池とマブチモーター、と基本は同じ
ある。「電動化」は駆動をモーターでというのだろうが、エン
ジン搭載のE-Powerならなんの問題もないが、超重量のバッテ
リーを車に搭載し、全て電源を搭載バッテリーに依存、という
ことがこの現実の社会において極めて致命的に不合理、つまり
社会的に破綻をきたすということである。「電化」が意味を持
つのは家庭ではコンセントから交流電源を、電車は架線から
電気が自在に引けるから電化が実用性を持つ、バカバカしいほ
ど当たり前な話だが、超重量のバッテリを搭載し、それに全て
依存というなら用途、使用環境が極めて限定された条件だけで
しか使用できないことは明らかである。チェンソーでも充電式
とエンジン式がある。充電式は使用条件がコンセントから近い
場所に限られる。これも当たり前な話である。

 あの小さなスマホでもリチウムバッテリーのために、ずっし
リ重い。あの重量のある車を駆動し、エアコン、照明、あらゆ
るエネルギーと搭載のバッテリーだけに依存というなら、誰が
何と言おうとも使用条件は限定される。車の用途の大きな部分
は運搬である。重量物を運ぶ、しかも中距離以上の車、要はト
ラックだがその数はあまりに多い。重量物を運ぶことを使命の
トラックが超重量物のバッテリー搭載長距離10トントラックなら
咲いて10トン以上の重量のバッテリーが必要となる。これでは
バッテリーを動かすためにバッテリーの電気エネルギーを消費と
なるだけだろう。ディーゼルの大気汚染、健康被害は深刻である
が、水素などとお題目を唱えるだけでは、現実、何も変わりよ
うがない。LPG化を図れば最善だが異様なプロパガンダが現実
の改善を不可能にしている。

 リチウムバッテリーのエネルギー密度はガソリンと比べ、重
量では2%ほどしかなく、同じ航続距離を考えればエンジン駆
動とモーター駆動の効率の差を考えてもガソリンの15~20倍の
重さのバッテリを搭載しなくてはならない。

 また最大の問題は充電である。これはEVが普及するほど深刻化
する。平均していうなら400kmの航続距離を得るためのガソリン
(軽油)の旧時間はいくら長くても5分以内、現実、3分を超えるく
らいであろう。だが400kmの航続距離を稼ぐ電気量の充電には
まず12時間以上はかかる、こまめに充電すればいい、というが、
それでは充電回数が増えるだけである。またガソリンスタンドの
ような民間の営業が成り立つ余地はない。回転が極端に悪いこと、
「電気を安く仕入れて高く売る」というシステムが無理だからで
ある。膨大な数のアパート居住ドライバー、賃貸月極の利用のド
ライバーがほんの十年先に、自在に何時間でも充電できる環境
など、現実ありえない絵空事だが、政治家、官僚の野心はそれは
無視である。メディアの御用化を良いことに、破滅的な非現実的
な暴走がまかり通る。多少、普及したら充電待ちが並ぶ、非常に
広いスペースは絶対必要だが、日本で駐車違反にならず可能な
そんなスペースが有り余っているはずもない。酷暑極寒でバッテ
リーも尽きそうで長く待つシチュエーションは当たり前だ、エア
コンがつけられなくなって待てるのか?


 エンジン車のような複雑な構造のメカは必要ないから、その分
は重量はいくらか軽減できるが、現実にEVならではのメカも必要
であり、超重量のバッテリー搭載だからトータルで軽量化はまず
無理で、まずエンジン車より重くなるのは避けられない。
 
 さらに基本的にリチウム資源、コバルト資源の制約、特にリチ
ウムは既に価格高騰が著しい。

 基本的にまだEV比率が低いからいいが、これが普及し、夜中に
一斉に充電となれば現状では停電は必至である。何年か前、ある
共産党市議?が旅館に泊まり、勝手に屋外のコンセントでPHEVの
充電をしたら辺り一帯の停電を引き起こした、ということもあった。

 とにかくEVは限られた利用条件、充電環境に限定される。市街地
の大気汚染を緩和の意義は大きい。が、一般的な用途の車には使え
ない。昼間電気を使い果たし、夜中充電していて急用で、いったい
どうするのか。これ一つ考えてもEVの通常の使用は無理は明らかで
ある。

 EVの持つ致命的欠点はすべてエンジンも搭載することで解決され
るが、政治家、官僚、利権に絡む超大企業の思惑は無理を強制して
しまいそうだ。どうなっても責任は持たないだろう、連中は。政治
的思惑で動いているだけである。

 大気汚染改善というならトラック、ディーゼル車こそ、廃止して
ほしいがこれは重量物を運ぶというトラックの特性、)また長距離走
るケースが多く、BEVはトラックに無理である。LPG化はドグマの
ために妨害されて現実的な選択肢が葬り去られている。

 では水素のFCVは?どうせトヨタの「新方針」で掲げられるだ
ろう。今まで散々、食傷するほど、公言し、やろうとしてきたこ
とだから。

 水素エネルギー活用には得られる水素エネルギーの数倍以上の
エネルギーが必要である、水素はナンセンス・エネルギーである。
その運搬、貯蔵も容易なことではない。かってテスラのマスク氏
は水素のFCVに可能性はないと断じた。「水素はエネルギーの貯蔵
手段であり、エネルギー源にはなり得ない。何かから分離してエ得
なければならない。その必要とするエネルギーは莫大だ。貯蔵、輸
送も困難を極める。それで車を仮に走らせたら、こんなムダもない
だろう。全く馬鹿げている」,確かに水素のメリット!とは燃焼させ
たら水しか生成されない、という、たった一つのことであり、それ
以外、エネルギー源としてはディメリットの宝庫であり、全く魅力
はない。そもそも水素自体が本質的にエネルギー源となならいこと
とは明らかでそれを無理強いすれば何倍ものエネルギーの浪費とな
利、何のためのエネルギーやら分からなくなる。水素は窮極のエネ
ネルギーなどではなく、窮極の愚民化にしか過ぎないのは当然であ
る。

 EVはEVで利用条件は限られる。当然である。EVの本質が変わる
ことはない、現実を無視してのカルトの権力化という厄祭が迫っ
ているという事実である。水素は論外である。

 結局、政治家などの思惑による野心の暴走は止まりそうにはなく、
その破綻、混乱のつけはすべてユーザーに降りかかるのみである。

この記事へのコメント

killy
2023年06月10日 17:43
一般の方々はEV化を「ハイハイ、そうですか」と聞き流しているかも。