西口克己『廓』1956.今なお刊行され続ける遊郭を問い詰めた力作の第一部


 まず西口克己という人物、1913~1986,現在の京都市伏見区
の娼家に生まれる。京都府立一中、三高を経て1935年、昭和10
年に東大哲学科卒、終戦まで労働科学研究所に勤務、戦後、京
都に帰り、政党役員、これは日本共産党で戦後長く、京都府政
が共産党だったことの遠因にもなった。1946年に日本共産党入
党、1950年の党分裂に関連して除名される、1955年二服党、こ
の間、実家の娼家でこの作品「廓」を執筆、1956年に出版、直
木賞候補に、1959年、京都市議会初当選、蜷川府政を支える、
1986年3月15日死去、73歳。実家が京都の娼家、勉学に優れ、
高学歴、共産党入党、市会議員で蜷川府政を支える、執筆当時
の住所は「京都市伏見区中書島東柳町」とある。

  西口克己

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  現在の伏見区中書島東柳の旧遊郭あたり

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 そこで『廓』、「廓というものは、日本資本主義社会の醜さの
一面というよりは、むしろ、その醜さの結晶です」、「風俗文学
やバクロ文学」以上に、「われわれ日本人、一人ひとりの内面的
なモラルを徹底的に追求した作品として仕上げてみたいと思いま
す」と「あとがき」にある。

 京都伏見区中書島の娼家の家にうまれた西口克己は「私の痛烈
な自己告白の書であもあるのです」という。

 兵隊上がりの傷ついた獣のような男が、何事も金が物を言う世
の中、とばかりに魚屋をやめて、すべてを叩き売って、伏見の中
書島に女郎屋を開き、仲居あがりの勝ち気な女房とともに極道商
売の鬼となる話である。時代は日露戦争後、明治末期の遊郭の様
子が描かれている。男の名前は貫太、女房はお銀。

 中書島の遊郭は当時、すでに貧乏くさくなっていたが、古い伝
統ある郭であり、ここの巣食うごろつき一家に碇川一家があった
土地に馴染みの薄い新店舗だけに、何かの因縁をつけられ、ゆす
られる心配があったが、腕っぷしの強い貫太はごろつきの一人や
二人、いつでもわたり合う気概がたた。

 だが女郎屋最初の一年は、まず赤字と言われていて、商売にな
れないうちは、娼婦の身柄の扱いとか、失敗しやすいから「たっ
た三人の抱え娼婦屋が、なんちゅうても、生身の女を切り売りす
るんやぞ、前の商売みたいに塩漬けの魚を手鉤ひとつでさばくの
とワケが違うぞ」と夫婦は必死の取り組みで始めた。

 だが一人の娼婦は病気に取り憑かれ、入院し、一人は前借り金
をろくに返さないうちに逃げ出した。病気は仕方がないが、この
足抜きは、碇川のゴロツキが紹介業者とグルになっての仕業と分
かり、貫太は持ち前の強気で碇川にねじ込み、ついに殴り込みを
かけられることになった。

 そこへまた救世軍の自由廃業運動が積極的になり、廓全体が、
何かざわついた。遊郭に入り込んだ救世軍の一人を、楼主や従業
員が半殺しにした事件で、廓の経営者たちと関係ある警察もその
処理に窮した。この騒ぎに貫太は無関係だったが、警察が暴行に
加わったものを勾引しないとメンツも潰れるとなると、貫太は「
私一人でやった」と名乗り出た。無論ウソである。廓関係者は
それをやくざ者の所業にしたかったが、それでやくざ者に頭が
逆に上がらなくなるのを貫太は怖れた。

 貫太は警察に捕まったが、警察は寛太が犯人でない事は知って
いる。警察は自分たちの落ち度を知られるのを怖れ、救世軍と
交渉し、告訴させないようにし、結局、貫太は釈放された。かく
て廓の英雄となった貫太は、商売の継続には碇川の協力が必要で
あった。これは妻のお銀の一存で体を張った。「万一、お金が
返せず、夫が指を詰めないときは、このお銀の体を一度といわず
、煮るなり、焼くなりしてでも、勝手に料理してくれやす」

 災難はまだまだ続いた。一枚看板の娼婦、生娘でスタートした
のだが身投げをした。妊娠し、馴染みからもすげなくされ、救世
軍に教えられた自由廃業も出来ず、絶望したからだ。ヤクザと戦
うときは筋を通す貫太だが、貧乏人の娘の利用は平気で、はるばる
娘のお骨を受け取りに来た母親には前借り金お残りの支払いを要求
し、それを死んだ娘の妹にさせるように仕向けた。お銀に「ええか
、これが日本国の、女郎屋の土根性や」

 この作品では警察と遊郭主とヤクザが互いに利用しあって、貧乏
人の生き血を吸う様が描かれている。西口克己は娼家の息子である
から普通に素人ではないが、「日本人の内面のモラルを徹底追求」
というなら、この世界の欺瞞の男気を多少は分析してほしかった。

 貫太は「ドロの水はさらいきれるもんやない、そうなりゃ、性病
の検査も取締もできんし、前金も払わん密淫売が増えるばかりや、そ
んなことで陸海軍の兵隊が妙に殺気立ってやな、御奉公を欠いたり、
性病が増えたらどうするんや」と啖呵を切る。

 西口はさらに第二部で、大正、昭和の廃娼運動と戦時下の慰安婦
の悲惨な最期、第三部で、占領軍の偽装的な解放令、赤線区域につ
いて書くと公言していたが、実際に第三部まで完成させた。だから、
これは「廓」第一部となる。

 

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