加藤周一『ある旅行者の思想1955(藤周一著作集10)敗戦国民だが超エリートの欧州滞在記
現在は加藤周一著作集10に収録されている。文庫本では
なさそうだ。実際、書かれたのは1955年、昭和30年だと思
う。終戦後の日本がやっと落ち着きを取り戻した時代、日
本は絶望的に貧しかった。日本人は劣等感の凝縮されたよ
うな存在でしかなかったが、日本での「特別なエリート」
がヨーロッパにあの時代、でかけたらどういう感慨だった
のか、である。「普通の日本人」ではなく、東大医学部を
出た文学者、だったから「ある旅行者の思想」というタイ
とトルは1951年末から1955年初めまで欧州で暮らした加藤
周一の自信の発露でありそうだ。日本人としてはあの当時、
普通ではあり得ない長期欧州滞在である。
だが、あとがきによれば、印象そのものは記録できない。
どなん強い印象も、時とともに薄れていくという。印象を
薄れさせないためには、「印象を思想化」しなければならな
いという。
終戦後、一人の日本人、日本人としては超エリートでも
別に欧州では誰もエリートなどと丁重にしてくれる道理も
ない。西欧滞在の日本人が、西欧文化との接触を通じ、考え
たことの要約である。一般市民の「見て歩き」ではない。
エッフェル塔もロンドンのバスも出てこない。西欧風俗など
今更紹介しても意味はないということだろう。だが時代が時
代だ。
日本人のヨーロッパ見聞記の弊害を十分承知してのことで
あろう。
加藤周一の関心の多くは美術に注がれている。そのことに
よる深い感動も述べている。それだけで終わらず、その民族
の文化、歴史とそれらの国民生活とのつながりの中から、そ
の感動の源泉を求めているようだ。
イタリアのミラノではサン・アムブロジオの12世紀の美術
を鑑賞し、フィレンツェではミケランジェロのダビデに感動
しローマでは共産勢力の農村への広がりに注目し、教会の暗
闇に潜むモザイックの聖者の不安な眼に、人間の眼の最高表
現を見る。そこで加藤周一は考えるのだ
「人間の眼の表現には進歩はなかった。その他の芸術的
表現には進歩は逢ったか、ーローマを旅行する者にとって、
何か酒と女以外に気がつくとすれば、人間精神の進歩など
は曖昧なものでしかなく、自明の理ではないことである」
ベルギーのブリュージュでは静かな散歩を楽しみ、ガン
の美術館で、ボッシュの一枚の絵の前に立ち止まる。オラン
ダではレンブラント、その肖像画に「個性を描いて、同時
に人間普遍の姿にまでたためている極致」を見る、「豊か
な、矛盾した、限りない世界を自己の中に感じつつ、他人
と運命に対しては無力な、無力と知っている人間の顔」
と相対する。独仏の隣りにありながら、「一枚のろくな画
も描かず、一つのろくな彫刻も作らなかった」スイスでの
国民生活のあらゆる面にアメリカとの共通性を見て加藤は
、ここではもっぱら金儲けと民主主義について語る。
英仏二カ国は最も長く滞在し、多くを述べている。美術、
政治、日常生活、それらを文化と歴史から観察する。この
二カ国は政府と議会と民衆の関係で大きな相違が有るとい
う。対ソ政策でもイギリスの反共感情は不安からではなく
自信から来ているという。ドイツはロマン的な詩で空を歌
うと思ってみると、毎日、暗い曇天が続くだけの冴えない
陰鬱な空、どこにもロマンは湧いてこない、という。
この時点で加藤は「若い人に西欧へのあこがれがなくな
って来ているのは喜ばしい」と云うが本当だろうか、と疑
いがわく。「ある出発点でこれほどいいことはない」とい
う。いいものは何も西欧、西洋社会ばかりではなく日本に
もメキシコにもある。やたら崇拝し、全てを受容しなくて
いい、というのは今日の脱炭素カルトを見ても納得だ。
自信の態度が一貫している。それはやたら西洋に憧れる
文化人が日本には多いことを考えると貴重だったはずだ。
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