真備大水害、石井正弘参議員(当時、国交相)よくぞ、ぬけぬけと視察できましたね、ずばり主犯ではありませんか?
真備大水害からもう今年で5年目である。未曾有の大水害
だが実は小田川、さらに高梁川との合流地域周辺では歴史的
に大規模水害が何度も起きている。岡山県ではまず圧倒的な
水害発生頻度であった。私は矢掛町という小田川に沿った町
に生まれ、育った。商店街の西端の先で美山川と小田川が合
流し、商店街に沿った辺りで一気に水量が増加する。たびた
い床上浸水に襲われ、大きな被害が繰り返された。まさに
「政治の貧困」を皆、嘆いていた。
真備は矢掛町の東隣に真備町がある。小田川に沿った町だ
が、ここは高梁川と小田川の合流地点に近く豪雨のとき、本
流の高梁川に小田川の水が流れ込めず逆に高梁川の水が逆に
小田川に入り込むことさえあり、ここで激甚的な大水害が生
じる。明治期には二度壊滅的な水害が真備を襲った。1972年
、1976年にも壊滅的ではないにせよ、水害が発生した。
したがって小田川の流れを変える根本的な河川の改修がな
されないと真備地域に大規模水害が起こる危険は常にあった。
高梁川、小田川水系の河川整備計画はしたがって長い歴史
があり、まず1968年にその最初の計画がなされた。基本的に
高梁川に合流する小田川のポイントが高梁川が大きく湾曲す
る直前の位置であり、最悪である。治水には船穂町(真備町と
同時に倉敷市編入)に柳井原堰を設けて、という工事案も船穂
町の受けリ影響は大きく、またメリットもないとして堰反対
運動もあって容易に進まなかった。しかし治水工事は粘り強
く継続する以外になく最終的な実行計画が決定された。しか
し当時の岡山県知事が「通産省」の元官僚の石井正弘であり、
その産業優先的発想がこびりついていたせいか、その最終的
に決定された治水工事計画、小田川の流れの変更工事の中止、
全くの「ちゃぶ台がえし」が石井正弘知事の独断で決定され
、治水工事は雲散霧消した。この決定は多くの県民を驚愕さ
せた、ことはいうまでもない。「用水の需要が減ったから」
が理由だったが、治水工事の中止をそんな観点からどんでん
返しされたら、・・・・・その結果がこれだった。
しかし岡山県知事も伊原木知事となり、再度、当初の計画
を小規模化しての治水工事が2014年春に決定、小田川のバイ
パス工事、高梁川との合流の地点の増加改修、完成は2028年
とされ、2018年秋から工事開始予定だった、・・・・・が。
自然は待ってくれなかったのである。
真備町は地価も安く、平地も多い、そこで新規住宅着工も
著しく、住宅団地が数多く建設され、スーパーなども県内で
も最も密度が高い、という発展の道だったが、あの大水害で
全ては止まった。もう真備町に新規に住宅を建設しようとい
うケースは全くレアケースとなった。店舗も撤退が目立つ。
その影響で倉敷市の玉島地区への新規住宅建設がすさまじい。
真備から玉島へという流れは定着した。真備の損害は計り知
れない。石井知事が治水工事の中止を決定していなければ、
間違いなく防げた大水害である。よくぞ、国交相!に成り上
がって視察が出来たと、呆れるしかない。
この記事へのコメント
7月に真備町川辺いきいきプラザで災害の報告会があり、最後のその他意見で、「新成羽川ダムの公表された放流データは捏造」と発言しようと思いレポートを作っています。
矢掛町本堀の堤防越水時刻がダム放流時間より前なのでダムが発表した数値がおかしいのです。ダムが放流し酒津の水位に影響するのは4時間後、さらに小田川が合流しにくく中川本堀の越水は放流より5時間は遅れると思います。
倉敷市長が「検証中止」を議会で発表し、議員が反対しなかったのもお粗末でした。
平成30年(2018年)西日本豪雨発生当時の国土交通大臣は公明党所属の石井啓一氏で、真備水害を視察したのも石井啓一氏です。岡山県知事だった参議院議員の石井正弘氏ではありません。