坂口䙥子『蕃婦ロポウの生涯』1960,四作品の短編集、「タダオ・モーナの死」が印象的
坂口れい子、坂口 䙥子(1914~2007)熊本県の八代市に
生まれ、熊本女子師範を1933年に卒業、1938年、昭和13年
から台湾の台中北斗小学校教員、勤務の傍ら執筆活動、194
0年に坂口貴敏と結婚、1946年、引揚げ、終戦後、夫が「蕃
人の生活を見たのが日本に持ち帰る唯一の財産」と云われ、
帰国後も台湾蕃人に関連した作品を思いに書いた。1943年
に「灯」で第一回台湾文学奨励賞受賞、1953年、「蕃地」
で第三回新潮文学賞受賞、1960年は「蕃婦ポロウ」の話で
第44回、芥川賞候補、最終の二作に残ったが決選投票で敗れ
る。以後、二回、芥川賞候補となったが受賞に至らなかった。
家庭生活はかなり最悪でその苦しみの中から作品を書いた。
やはり題材が非常に特殊で選者に最後はハネられやすかった
のかもしれない。
その代表作「蕃婦ポロウの話」、舞台を台湾の蕃社に選び、
蕃人を主人公とする、特異なものである。それは台湾で戦中
、生活した体験の結果である。蕃社とは蕃人の集落を日本統
治時代、称したもの。
短編集であり、四作品が収録されている。大和出版。
その中の最初の作品
「タダオ・モーナの死」と題する序詞が事情を物語る。1930
年、昭和5年10月27日、蕃地霧社で発生した、いわゆる霧社
事件、日本人小学校の運動会が蕃人に襲撃され、日本人134
人と台湾人2人が殺害された。その指揮者、タダオ・モーナ
の短い生涯を綴った作品である。日本軍が直ちに制圧を開始、
別の蕃人部族に「首狩り自由」として制圧に協力させた。
序詞では坂口さんは終戦を挟んで10ヶ月を蕃地中原で生活
した。そこで多くのタイヤル人(台湾原住民で二番目に多い部
族)を知り、霧社事件に興味をいだいた。
「敗戦で日本は植民地をすべて失った。だがその旧植民地
での人々の生活を、私たちは知らねばならない。コンゴは日
本にもあったのだ。ルムンバ(コンゴ独立の英雄)は彼らの中
にもいた。ただもっと稚く、単純、、もっと背が低かったが。
もう一人のルムンバだと思う」
これが作品のモチーフだろう。
蕃人の皇民化を目標とした日本警察、勇猛果敢な青年のリー
ダー、タダオ・モーナは恐るべき狂蕃だったが、幼少期から
彼を知る樺沢巡査部長には我が子のような存在で慈しんだ。
この作品は樺沢巡査部長の立場から、タダオ・モーナの悲劇
の生涯を述べたものだ。征服者と被征服者との距離は絶対に
縮まらない。主人公の根源に立ち入って、霧社事件の本質を
描こうとしているようだ。
芥川賞最終選考に残った「蕃婦ロポウの話」は蕃婦のハツエ
によって語られる、ノーカンとロポウの話でラウ。ノーカンは
二十歳のたくましい若者、ロポウは13歳の可憐な娘。二人の間
に子供が生まれたが、霧社事件が起こる。ノーカンは死んで、
ロポウは正気を失って、)無意識的な行動を取ってしまう。その
捉えがたい心理を、意識を表現しようと一人の蕃婦に語らせる
という趣向、非常に苦心能作だが「タダオ・モーナの死」の方
が印象に残るのはやむを得ないだろう。
他の作品は「蕃地」、「蕃地のイヴ」同じ系列の作品である。
坂口 䙥子
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