松井英子『伊勢平野』(新作家叢書3)1978,明治から昭和にかけての農村女性史 収録の「欅のある家」が佳作


 1978年に「けやき書房」がらの単行本、『伊勢平野』、『
欅のある家』さらに未完の『一本の棘』の三篇を収録して
いる。600頁近い分厚い本、「欅のある家」だから「けやき書
房」から刊行されたのだろうか?「新作家叢書3」である。
新作家叢書といって、著者の松井英子さんは1978年の三年前
に60歳で亡くなっている。実はその内容からして1982年に59
歳でなくなった江夏美好、「下々の女」と共通点があるかな、
と感じた。松井英子という方は児童文学の分野では6冊もの
著書がある、という実績があったという。いわば奇特な人か
もしれない。収録された「伊勢平野」、「欅のある家」は小説
として十分、丹念に書き込まれた深みのある作品だろう。

 松井英子、1915~1975.帝国女子医学薬学専門学校(今の
東邦大)中退、1953年ころから児童文学に打ち込んだとある。

 「伊勢平野」は明治末期から鈴鹿山脈の山峡の村落から伊勢
湾に沿った平野の海辺の村落、六反ほどの自作農に嫁いだ「し
の」という女性が、さらに大正から昭和の戦前、戦中を経て戦
後に至るまで、すべてを犠牲にして、土地に生きる執念に徹し、
ようやく一町六反の自作農に這い上がる、女性の一生を描いて
いる。ある意味、大河的性格もある長い時代を生き抜いた農村
女性史ということだろうが、どこまでも「しの」という一人の
女性を描き切るというコンセプトに依拠しているようだ。その
、ひたむきさ、江夏美好さんの「下々の女」げげのおんな、と
くらべ社会史的性格が強い。

 「欅のある家」これは私鉄の関西鉄道が敷設された、明治30
年代に、城下町に住む誇り高き士族の家の若き当主、樺山淳二
郎が、不本意ながら鉄道員となって屈辱の中、生活も荒むが、
富裕な農家の出の妻、「たよ」が畑仕事に精を出し、けなげに
家を守っていく、という物語。淳二郎は商売女に入れ込み、家
も維持できなくなりそうな借金を背負い、商売女を妾に囲い、
ことごとく、妻に辛く当たるが、何処か憎めない部分もある。
時代の変遷に翻弄される人間で、いいたくないが犠牲者かもし
れない。だが日清戦争で転機、広島まで開通した山陽鉄道の、
とある駅長になって人が変わったように仕事に励む。転勤場所
まで訪れた商売女も相手にしない、だが淳二郎は職務に忠実た
らんとし、暴漢に襲われ重傷を負った、看護に駆けつけた妻の
「たよ」と再会、はじめて夫婦の心が通じ合う、これが著者の
祖父母をモデルとしたというが、格式ある旧家、敷設早々の私
鉄、それと妾を持つ浮気とが織りなす、手の込んだ小説だ。

 60歳で亡くならず、もっと生きて書き続けられていたら、と
惜しまれる作家だ。

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