平凡社の『日本残酷物語』シリーズ全5巻、宮本常一など、日本の下積み庶民の悲惨な歴史を容赦なく暴く
1960年に刊行され、今なお「平凡社ライブライー』として
全5巻が刊行されている、まさに重要な本である。今でこそ、
日本人は何とかそれなりにの生活が送れているようだが、明
治以降を考えても日本人庶民の生活の実態は貧困悲惨を極め
たと思う。この本ではないが、中央公論、「日本の歴史」の
明治中期だろうか、色川大吉著の巻にある話だが「西美濃の
悲劇」、明治初期から中期、非常に不景気な時代だった、西
美濃の山中で炭を焼いて生活する男がいた。何処からか男女、
一人づつ子供をもらってきて育てていた。しかし町に降りても
全く炭が売れない日が続いた。これでは子供にお米を食わせら
れない、全く売れず帰ってきて子供の顔を見るのがつらく小屋
の中に入って寝た、ふと起きた。西陽が強かった、二人の子供
が斧を研いでいる、「おっとう、この斧でわしらを殺してくれ」
と木を枕にして子供が二人仰向けに寝た。男は頭がくらくらし、
斧で子供二人の首を斬り落とした。男はその後、捕縛され、刑
務所送りとなった、・・・・・これは柳田国男「山の話」から
色川大吉が引用したものだ、柳田国男が実際、見た裁判記録だ
った。西美濃だけでなく柳田国男は同様な事件を播磨でも見聞
したという。明治からなぜ日本が戦争国家になったのか、その
秘密は極度の貧困である。農村の貧困、次男坊以下は食ってい
ける場所がなかった。居場所もなかった。
以上は「日本残酷物語」の掲載の内容ではない。今は多少マシ
はマシでも、以前に日本、山中の集落、こんな場所でどうやって
生きていけるのか、生活できるのか、というふ風景はよく見た
、山間の鉄道に乗った際にはよく見た。今は多くが限界集落と
なって廃村となっているが、なお存在する。この本は1960年に
刊行された、まだ高度成長以前の貧困を極める日本だ。現在も
実際は世界的に日本は貧困層が多いので有名であるが。
「日本残酷物語」は貧困が当たり前の日本の民衆の悲惨な実態
を容赦なく暴いたものだ。徹底してである。
「貧しき人びとのむれ」
「忘れられた土地」
「鎖国の悲劇」
「保障なき社会」
「近代の暗黒」
以上、5巻である。物語を流れるイメージは、追い詰められた
庶民が、如何に生き、生き延び、また如何にして忘れ去られてい
ったか、である。享保、天明、天保から明治、大正、昭和に至る
までの農村における凶作時の恐るべき犠牲、飢饉の悲惨さ、小氷
期だった戦国から江戸時代まで、寒波は厳しかった。北海道開拓
に従事の移住した武士たちの窮乏、泥炭土、火山灰土、重粘土、
寒冷すぎる気候、戦災で疎開の人々の困窮、旅人の持ち物を奪っ
てでも生活しなければならなかった山の民、いよいよ困ると難破船
を当てにする沖縄、それだけが生きる糧だった。残虐に扱われる日
陰の子どもたち、一生浮かぶ瀬もない名子の一生、差別と迫害にさ
らされ、貧困の苦悩で流民化した海外移民、日々が生命の危機に
さらされる民衆の苦難が同郷の人たちによって2000頁にも及びとい
う大著である。
日本人の不可解な「残酷さ」に首を傾げることが多い、なぜ
応召した兵士があれほど残虐になれたのか、生命など虫けら以下
にしか扱わなかった日本軍のやり方、なぜ?和歌や風雅の日本人
ではなかったのか?違う、民衆の歴史は甘くはなかった。残酷さ
の深い理由をここに見てしまう。
日本の長い残酷の歴史を忘れるな、というこのシリーズはある
意味、生涯座右の書となり得る。だが実は今なお、日本中に存在
しつづける残酷、うごめく民衆にこそ目を注がねばならない、と
いうことである。
この記事へのコメント
昭和30~40年に玉島で製塩に携わっていた方々も多く北朝鮮に移住。今から考えると何故?と思いますが、当時の過酷な生活を伺わせます。