長谷川伸『日本捕虜志』1955,かっての武士道に鑑み、大戦中の日本軍の捕虜虐待を厳しく批判、戦時下から執筆開始

「四十年の昔(註:大正中期ころ)には『きのふの敵はけふ
の友・・・・・』と国を挙げて甲乙丁丙のいずれもが、この歌
を愛唱した。子供はこれによって得るものをいつかしら得てい
た。だがこのことも日本人にとって過ぎ去ったものとなってし
まった。果たして悔いなきことであろうか」
「敵の将軍との降伏の談判にイエスかノーかと卓を叩いて相
手を睨みつけたとかいうことがあったという。それもこれも同
じ日本人である。その違いは余りにも大きい」
「顧みてわが体のうちに武士道の血が廃滅してしまったので
あろうか。ただ単に忘れていたのか。ここ何年か振り返って、
欠けたものがあったと誰しも思うだろう。だがそれは廃滅した
のでもなく忘れ失ったものでもない。多く中にいくつかは残っ
ているのだ。恨み多きことに、余りにそれは少なかった。エセ
武士道がはびこる世には真の武士道は数少なくなりつつある」
このような慨嘆する文章がいたるところに出てくる。長谷川
伸先生の云われたかったのは、これらから察しがつくだろう。
長谷川伸先生は大戦中に海軍従軍文士を志願され、先知に赴い
たのだが、敵の捕虜を極めて残酷に扱った姿に心から憤激され、
戦争中からすでにこの本の執筆を開始されていた。
日本人の間には古来、捕虜を扱う道があった。しかもそれは、
まさしく立派なものであった。大戦中においては全くそれが
廃れ、散々な残虐行為の限りを尽くした。それは世の中が優れ
た先人の道を学ぶことを忘れ、明治以降の狂信に心が歪められ
たからと言わざるを得ないだろう。武士道は地に堕ちた。長谷
川伸先生は任侠をテーマとした作品を書かれたが、任侠道も武
士道に由来してる。
この本は日本が唐の軍と戦った七世紀半ばの天智天皇の時代
に始まり、日露戦争に及び、戦場での将兵の態度、捕虜の扱い
ぶりを述べている。これらはさまざまな本から得たものだが、
それにしても、よくぞこれだけ集めたと驚くほどである。だが、
これをベースに小説を書くこともえきたはずだと思う。ただ、
過去の資料は戦争美談も多く、そのまま真に受けるのもどうか、
とは思うが、とにかく長谷川伸先生の悲憤慷慨、この目で見た
皇軍の遺憾だが残虐行為への怒りの爆発である。この本は最初
は私家版、500部限定であった。その意図の誠実さは疑いない。
なお本作で第四回菊池寛賞を受賞された。
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