ヒトラーのオーバーアマガウ村「キリスト受難劇」鑑賞
日本人から見たら典型的な白人であるユダヤ人がなぜあれ
ほど歴史期的に差別され、迫害を受けたのか、「印欧語族」
自体は言語の系統の概念だが、同時に人種、民族とも重なる。
ユダヤ人はヘブライ語で印欧語を使う民族ではない、無論、
白人でも非印欧語族は少なくない。ともかく日本人にとって
ユダヤ人は正直、ピンと来ない。実感を持って考えにくい。
ナチスドイツのあの絶滅収容所での散々なユダヤ人の虐殺の
限り、「なぜ、そこまで?」ベルグソンのような名声が確立
した哲学者でさえ、あの星を胸に付けさせられて街中を歩か
されたのである。
原因を探れば、日本人にキリスト教の伝統がなく、「キリス
トを殺した民族」という意識がないからである。
例えば南ドイツ、オーバーアマガウ村のの「キリスト受難劇」
である。これはユダヤ人の裏切りで十字架にかけられるキリス
トの物語で、まさしく受難劇である。これこそ、ヨーロッパに
おけるユダヤ人憎悪の原点をよく示すものだが、ヒトラーやゲ
ッペルスも大戦前、これを観に来ている。その時の写真が保管
されてもいる。
これはその時のヒトラーたちの写真です
ナチスが政権をとった翌年、オーバーアマガウではキリス
ト受難劇の特別公演が行われた。
この時、客席で受難劇を観るヒトラー、後に受難劇を
「人類が生んだ最高の演劇だ」と称賛した。
宣伝相ゲッペルス、受難劇を感想を日記にこう記している。
「それは色鮮かで力に満ち、民族的だった。私は感情を鷲掴
みにされ、涙を流さんばかりに感動した。イエス・キリストの
死刑判決の場面はユダヤ人の本質がよく現れている。まさしく
、あれがユダヤ人だ。それは今でも変わっていない」
公演、公演後のヒトラー
これは直接、ナチスのユダヤ人絶滅政策につながったとも
云える出来事だが、日本人が「なぜユダヤ人?」という疑問
を持つなら、わかりやすい資料である。
さて1942年に戯曲「恭しき娼婦」で黒人への差別意識、偏
見を取り上げ、翌年にはユダヤ人問題にもサルトル的な考察を
加えた。それがこの本である。
サルトル的な考察と云って一言で括れるものはないが、四章
に分かれたこの本を大まかに言うならば、サルトルはまず通俗
的な反ユダヤ感情が宗教上も歴史的にも無意味なものであると
これを論破している。ユダヤ人が呪われた血を受け継ぐ民族で
あるとか、金、金融で世界を支配する悪辣な民族という、およ
そバカらしい偏見は捨てるべきだという。
第二章では、いわゆる人道主義者らのユダヤ人への安直な
道場は、上から視線の憐れみから成り立つ以上は、問題の解決
にならないという。第三章ではユダヤ人側のさまざま入り組ん
だ劣等感を分析し、彼らが自らのコンプレックスから脱却のた
め「抽象的な人間観」に走ることを戒めている。
サルトルは結論的に、ユダヤ人は自分たちの置かれた境遇と
立場を正視し、堂々と立ち向かうべきだという。このような
状況に追い込んだヨーロッパ人の長年の偏見と差別は反省すべ
きとしている。
第三章はユニークである。ユダヤ人というから縁遠いので、
同じアジア人での差別感情、偏見を思い起こせばそれらと共
通なものがあるということだろう。1943年に書かれたが、ここ
からナチスのユダヤ人絶滅収容所はフル回転を始めた。現実は
どうしようもなかったのである。
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