埴谷雄高『薄明の中の思想』1978,埴谷雄高の思想の到達点だろう
『薄明のなかの思想』、・・・・・何かにつけて「闇」
とか「晦暗」とかという形容で自他を律してきた埴谷雄高
としては、うっすら希望を見て取るかのようなタイトルは
「あれ?」と思わせるものはあった。そのかなり前、1960
年代末の映画論集では『闇のなかの思想』と名づけられて
いたではないか。「闇」が「薄明」になった理由である。
この本は書き下ろしではなく、語り下ろしというべきよ
うな体裁である。話し言葉で記述されたこの本を読むなら、
「闇」でなく「薄明」となった理由が、おぼろげに分かる
だろう。難解で鳴らす埴谷思想であるから、それも簡単では
ないが。私も埴谷思想はなんと掴んだらいいのか、今もって
実は五里霧中、理解できない点が多いのだが、とにかくその
難解さ故に「闇」とされた全体像、その思想に埴谷自身が幾
条もの光を当てている、ということだろう。実際、これは労
作である。
埴谷雄高 1909~1997,何か遺言のようなスタイルで語ら
れるこの埴谷思想はスタートラインに還ったかのようだ。梅崎
春生、椎名麟三に始まり、花田清輝、大井広介、武田泰淳、竹
内好、平野謙、などに至る戦後文学の急速な継続する死の連鎖
、これが先立たれてゆく埴谷の精神に思想の完結へという動機
を生んだのだろうか。
その完結する埴谷思想は10の章にまとめられている。
生誕、意識、存在、愛、性、政治、革命、芸術、死、宇宙と
いう配列だ。いずれも何とも根本的な思想に通じる、副題が
「宇宙論敵人間論」だから、実は「そう難しく考えなさんな」
だ。表向きの難解さはさして問題ではない。
だが弁証法だ、「外から与えられて徐々に目覚めようとする
意思」と「自身のなかから、やがて頭をもたげて外へ出て行こ
うとする夢」との対立の原型としての「人間」がついには、「
生物史はじめての暗黒の大虚無へまったく屈服せざる啓示的な
入り方を、無限と永劫に向かって示す」にいたるまで成長し続
けるさまは、、ほとんど著者の自己形成史とも重複し、その弁
証法は、・・・・・説得力に満ちている、というべきか。
埴谷テーゼ「薔薇、屈辱、自同律、ー俺はこれだけ」、結局
、未完となった「死霊」の内面を述べているかのようだ。
わからなくても、読むこと、単純だがそれに尽きる。
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