再論!門上千恵子『愛は法をこえて』1952,女性初の検事、亭主とのノロケと出世の満足感にひたった空疎な文章

 Edward_and_Tsuneko_Gauntlett-150x150.jpg
 門上千恵子(かどがみ・ちえこ))1914-~2007,愛媛県出身。
日本初の女性検事、・・・・・1964年7月、「親と子は別人
格」との「信念」から三鷹市下連雀の自宅敷地内で別居して
いた息子二人、高校生の長男が次男(弟)を殺害するという事
件は起きた。その母親は女性初検事の門上千恵子で、これで
検事を辞職した。・・・・・・1939年昭和14年に女性で九州
大を卒業し、昭和24年、1949年から千葉検察庁に勤務した。
昭和27年、1952年に公的、私的なノートを取り集めての本で
ある。戦後、女性の男性分野への進出の、いわばハシリであ
る。

 そこで内容だが、罪を犯して罰を受ける人も決して根っか
らの悪人ではなく、不幸な環境に育った結果である、と著者
は気づき!その犯した結果だけを考えて罰することに「疑念」
を感じたという。ごもっともではある。しかし、それは「は
しがき」で述べているように「検事という、多忙で俗っぽい
仕事をしながら、曲がりなりにも何事かを文章に残しておく
ことが出来たのは、ひとえに夫のお蔭」と借り物めいた文章
で、のろけている。「私は。自分のこの不幸せな心もちを、
実現することが出来ないヒューマニズム、窒息しそうなヒュー
マニズムと呼んでいたわっています」と自ら慰めているのか、
『愛は法を超えて』などという少女趣味の常套句で騙せない
厳しい問題であるにも関わらず、その「窒息しそう」な絶望
を投げやりにしているままだ。

 だからこの本の限界は顕著である。例えば、一千万円詐欺
の容疑者の方い口を割らせた話について「私が、心の手綱の
取り方をちょっと変えて、あの人の立場になって考えてあげ
たら、彼女の心はかたくなさが溶けて、更生への第一歩を踏
み出したようです」

 このような文章の裏にあるものは、まさに得意満面な著者
の職業的、立身出世の満足感である。「相手の立場になる」と
いってヒューマニズムでもなんでもなく「口を割らせる策略」
のひとつでしかあるまい。検事としての高慢さに満ちている。

 ようするに門上千恵子女史は日本初の女性検事となったこ
とをこの上ない栄光と出世と考えているようだ。やむを得な
い部分はあるが、後半で自分の半自叙伝を述べている。こう
いう環境で育ちました、と言わんばかりの筆致だ。特にご自
分のお偉いさんの亭主を「彼は物腰柔らかな、英国風のゼン
トルマンです」まあ、銭トルマンでなくて良かったですね、
と言いたくもなる。手放しで長々とノロケてる。いくら勝気
の男勝り、鬼検事とはもうせ、やはり平凡な女である。この
本の価値を損ねているのは著者が平凡な女だからでなく、平
凡な女であることの自覚がまるでないことである。

この記事へのコメント