桑田忠親『武家の家訓』講談社学術文庫、最初は戦争末期に出版、軍人に暗に反省を求める意図

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 戦争末期に最初の刊行、ついで1982年に旺文社文庫から、
現在は講談社学術文庫で出ている。鎌倉時代の武将の北条重時
が書いたものから、朝倉敏景、毛利元就、島津貴久、織田信長、
豊臣秀吉、加藤清正、徳川家康、徳川光圀まで戦国時代をメイ
ンに二十数人の武将、大名が家族や家来に与えた文書を集めて
解説している。

 その内容は、子孫のために家を維持する心得を説いた家訓と
か、不出来な家来を叱責する書状まで、内容はさまざまだが、
昔の武士階級がどんな考えを持っていたか、本人の考えがかな
り生々しく本音で述べられているものも多い。

 なんでもないことのようだが、北条重時の長い家訓、その第
七十一条には、主人が開出先から家に帰るときは、あらかじめ
使いの者を家に返しておくべきだと説いている。留守を預かる
下僕らに不意打ちを食わせて慌てさせないように、という配慮
らしい。そんば殿様ばかりだったとも思いにくいが、多くの家の
の子、郎党を使う立場だから。いつの時代も人を使うのは細かい
神経が必要ということだろう。

 毛利元就は中国地方の戦国武将で著名だが、家訓に、「自分は
非常に多くの人を殺してきた人間だから、その応報は子孫に報い
るから、あなたがたには悪いことをした」と妙に気の毒がってい
る。近代戦ではさらに多くの人間を殺すわけだから、それがさら
に子孫を苦しめるという危惧、罪の意識をもつかどうか、まあ、
無理だろう。

 前述の通り、最初、この本は戦争末期に刊行されている。だか
ら当時の状況を反映しているわけである。ここに記された武将、
大名の家訓はすべて、日本武士道の模範的人物であるかのうよう
に理想化、美化もされている。だがか今の感覚で読むと、ちょっ
とこれでは、という抵抗も感じざるを得ないが、著者としては
「時局への便乗ではなく、古武士の教養と死生観の深さを紹介し、
当時の高級軍人へ暗に反省を求めた」と後書にはある。でも、そ
れこそ全くあり得ないないものねだりだろう。

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