畔柳二美(くろやなぎふたみ)『姉妹』講談社、1954 北海道で成長する姉妹を描く、毎日出版文化賞受賞の佳作、家城監督で映画化も
一般にあまり知られているとは云い難いが、実は知る人ぞ
知る、という意味ではかなり著名な作家といえる。畔柳二美
、まずこの名前、畔柳を「くろやなぎ」と読む。この作家を
知ってこの読み方を初めて知るのではないだろうか。結婚後、
の姓が畔柳である。1912~1965,北海道千歳市生まれ、wiki
にわりとくわしい記述がある。1954年、昭和29年に『近代文
学』の連載された。基本的に少女時代を綴った自伝的作品で
ある。
北海道の山中の発電所の社宅に住むいたって平和な一家、
その家の二人の姉妹の成長を描いた物語である。北海道で、
伸びやかに育つ姉妹の姿である。姉の圭子が15歳、妹の俊子
が12歳のとき、姉は裁縫学校に、妹は女学校に入学のため
札幌の叔母の家に預けられる。時代は戦前。まだ戦争の始ま
らない時代だ。
年齢より大柄に見える圭子は人間的にもしっかり者で、
一面、分別臭い。12歳になるがまだ10歳にも見えない小柄で
えらいチビの俊子が男児のような活発である。最初の夏休み
になり、二人が帰省したとき、圭子は両親や三人の弟たちに、
個別にお土産を持って還ったが、俊子は子供の湯のみ茶碗と
勘違い、盃を買ってきて皆に笑われる。
物語は札幌での姉妹の生活と、帰省した折の山の中の一家
の生活が交互に述べられる構成である。姉妹の下宿する叔母
の家には、てかてかポマードで金の指輪を嵌めた伯父も無論
いて、「戦争にでもならないと不景気でかなわん」とまだ
昭和初期で大正の平和が続く時代を反映している。そこで怪
しげな事業に手を出し、叔母を困らせている。圭子は教会に
通いはじめ、いやなこと、心配があるといつも十字を切って
祈る習慣が身についた。俊子は姉のその所作がイヤでたまら
ない。そのうち俊子は初潮を迎える。
一方で山中の発電所に務める人々の生活は表向きは平和で
のんびりしているが、姦通事件もあれば、人員整理に伴うトラ
ブルもあり、またその辺りの農民の生活は貧窮のどん底、石器
時代とさして変わらないような惨めさである。そこで娘を売っ
たり、また農業に見切りをつけ、ニシン漁に従事したりする。
二人の娘を札幌に住まわせ、学校に行かせるこの家族も楽では
ない。しかし、姉妹の両親は思いやりに満ちて善良である。
やがて二年の歳月が過ぎ、圭子は裁縫学校を卒業、俊子は叔
母の下宿から寄宿舎に移った。俊子はそこで多くの見聞をする。
山の家に戻った圭子は、その生活に退屈、また札幌に戻って百
貨店の裁縫部に務めるが一ヶ月でやめて家に戻る。四年に進ん
だ俊子は修学旅行で内地に行くのを楽しみにしていたが、父が
許さず参加できない。友人たちが気にかけて皆でお金を出し合
ってくれるが、俊子はその善意を辞退する。
圭子が19歳8ヶ月、俊子が16歳10ヶ月のとき、圭子の縁談が
決まって、ある雪の朝、橇に乗って嫁いでいく。「今度は俊子
の番だ」と云われた俊子は、・・・・・
「無言で崖下の雪の間を動く川の流れをじっとみている。山
を下って、むらをとおって、町々を過ぎ、やがて大海におどり
でる水の流れを、彼女はかっとみひらいて、じっとみてる」
これが結末の文章である。
著者は俊子である、小説というより、散文詩的な文章で組み
立てられた物語と云うべきで、何より北海道の息吹きというの
か、空気を感じさせてくれる点で魅力がある。正直で純粋で、
大人たちにはあまり可愛がられない少女姉妹の成長が、二人の
対照さを通じて描かれる。背景ともなる発電所周囲の人の生活
が、あまりシックリ描かれていないのは惜しまれる所。概して
書き足らない感じで散文詩的に終始だが、それも逆に初々しく
魅力とさえなっているのではないか。
この作品は毎日出版文化賞も受賞、家城監督、独立プロで
映画化もされた、1955年、野添ひとみ、中原ひとみが姉妹役
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