埴谷雄高『闇の中の黒い馬』1970,夢を現実に還元の夢理論、アホらしいの一語に尽きる大マジな虚構


 夢とは何か、誰しも思うだろう。夢と言って明らかに過去の
体験と容易に結びつく夢もあるし、またまったく思い当たるフ
シがない夢幻的な夢もある、その中間もある。ただ現実に特に
結びつかない、まさしく夢幻という夢こそ楽しみなものだ、こ
まかな内容は起きたらすぐ忘れるが、過去の苦渋な体験、たと
えば試験に落ちたとか、などに起因の夢はつまらない故に具体
的に覚えているものだ。

 さて、この1970年、大阪万博の年に刊行された埴谷雄高の「
夢理論」の短編集、「夢についての九つの短編」という副題で
ある。文学作品では夏目漱石の『夢十話』、これは漱石の傑作
であるし、夢の文学の最高峰と思える。また内田百間の作品集
『冥途』、それらに比べて埴谷の夢作品は、さらに気味悪くも
あり、さらに難解というほかない。いかにも文学作品という『
夢十話』、『冥途』に比べ、やはりというか、哲学的、いつも
の宇宙論的なのだ。埴谷自身もこれらの短編の「異常さ」は
承知しているようで。あとがきで評論集『乗鉛と弾機』を参照
してほしい、などと述べている。その評論中は読んでないが、
恰好の解説となっている、との指摘もあるようだ。

 ポオも夢をテーマとした作家である。夢と現実の間の一瞬の
時間を「影の影」に満たされた霊妙な瞬間と呼び、その瞬間が
捉えられるように訓練を重ねたそうだが、結果はどうだったの
か、それを真似てか、埴谷も自ら実験を試みたそうだ、そこか
ら夢にまつわる独自理論を展開したようだ。埴谷が強調するの
は、夢の「不可測性」だという。この「不可測性」こそが夢を
現実に還元させるのみならず、想像力の一つの象徴であると論
じている。その埴谷の夢理論の具現化がこの短編集となる。

 短編は九つ、「暗黒の夢」は闇全体への哲学的考察、表題作
「闇の中の黒い馬」を序章として置いたようだが、実質、重要
な作品は「暗黒の夢」となるだろう。

 「暗黒の夢」では、はじめに「私」という人物の奇妙な実験
が書かれている。端的に云うなら、夢について出来るだけ「覚
めた形での考察」を試みる実験で、ポオを猿真似シたのは明ら
かだが、難しいのは「覚めているときは眠っていず、眠ってい
たら覚めてない」という当たり前な二律背反で著者は悩み抜く、
という見方によればアホらしいの一語に尽きるが、ついに「私」
は「夢の出発点の制御」に成功するという。で本当に「私」は
成功したのだろうか?と不審に思うだろう。それが常識だが、
それでは最初からこの本を読む必要はない、資格もない、ので
ある。埴谷はいかに不可能に決まっている状況を可能に見せかけ
る虚構の構築に全力を尽くした、その実現の虚構を描いているの
だ。夢と現実、現実に還元できそうな部分は全て捨て、全くの
架空の夢にリアリティを与える、これぞ「虚無からの創造」とな
る、まあ、そうだろう。これを見果てぬ夢というのか、正直、云
わせてもらえばバカバカしい限りである。

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