安岡章太郎『流離譚』1981、歴史の激動に翻弄された一族の人々の無念を語り果たす

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 たぶん、アレックス・ヘイリーの「ルーツ」に影響されて
安岡さんが書いたのでは、と思える。安岡さんもならば俺もと
、たぶん意を決して書いたのでは、と思える。実際、普通われ
われが祖先を探っても、まあ、せいぜい祖父母の親か祖父母く
らいが関の山だろうが、それさえ難しいものだ。実際は闇の中
である。武家で多少なりともドラマチックな歴史でもあればい
いが、たいていは農業だからそれもない。だが安岡さんは名う
ての武家である。単純に庶民ともいいがたい。
何かと
 小説の冒頭はだから?お墓のお話である、墓は何も語りかけ
ない。だが、生きている者の想像力が何かを伝えさせる。

「一人ひとりの人間のつながりを辿っていくと、一種、言いよ
うのないような情熱を掻き立てられる。何かしら、草の根をわ
けても探し出さずにはいられないようなものを自分の内側に感
じる」

 安岡さんはこの「自分自身の内側」に感じる情熱をまさに辿っ
ていった、「ルーツ」ブームをわが情念に移し替えたといえる。だ
から祖先の興亡のみではなく、まさしく創作であり、だからこそ
文学作品になり得ているのである。

 安岡さんは自分の内部に記憶されている現在の自分自身に意味
をもつものを全て頼りに創造をフルにはっきしようというコンセ
プトなのである。

 安岡さんの出自は土佐の譲受郷士という。だから代々、土佐藩
に居住。だが、

 「私の親戚に一軒だけ東北弁を使う家がある」

 この文章から私的な歴史小説が始まる。父の墓

 「奥州の安岡」があるのかどうか?

それをあきらかにしようと安岡さんより三代前の、安岡嘉助「
土佐藩の家老を斬って天誅組に加わり、捕らえられ、京都で斬首刑
のされた」人のことや、その兄の安岡覚之助「やはり勤王党に入っ
て、戊辰の役で板垣退助のもとで働き、会津で流れ弾に当たって死
んだ」人を語らねばならない。父の墓を守るため、覚之助の遺児が
会津に移住する。それが奥州の安岡なのだ。

 この小説を歴史の画像的にみたら、嘉助の天誅組入りがメイン
であり、嘉助、覚之助兄弟の行動を描く場面が読み応えがある。
ただし新しい時代が来るという呼び声に誘われて、さらなる大き
な動乱に身を投じる。まあ、維新前の若者たちの行動はなかなか
鮮烈だ。近代化のはずが奇妙な換骨奪胎もあり、奇怪になったの
は否めない。

 この兄弟を中心として、歴史の奔流に、もがき、翻弄される若者
たちの姿が鮮烈である。覚之助の従弟の安岡権馬は明治十年の西
南戦争の勃発にともない、古勤王党の蜂起に加わり、獄死の憂き
目にあう。その」獄中手記はどこか全共闘世代の手記に似ている。

 またこの近代化の奔流の大物、坂本龍馬の兄の坂本権平は、覚
之助、嘉助兄弟の父の安岡文助と親しい友人だったというから、
結果、坂本龍馬もいきいきと登場する。

 かくして一族の探求がそのまま、日本近代化の激流と重なるの
である。歴史との激突の連続だ。私的探求がそのまま歴史の激動
を描くことになるのだから幸福といえば幸福だろう。なにも歴史
を描くこと自体が目的だったとは思いにくい。あくまでルーツな
のだ。

 安岡さんの視点も明らかだ。嘉助の家老斬殺事件や斬首刑の記
述、覚之助の戦死については「歴史は生き物だ」という感慨に満
ちるが、坂本龍馬の事績については「この辺になると、ある寂し
さを禁じ得ない。おそらくこれは歴史というものが、ここでは何
か、無機的な、鉱物の標本のようになっていると感じられる」

 ということで「鉱物の標本」のような歴史は拒否される。

 ならば「鉱物の標本」でないような歴史とは何かだ。それは時代
に翻弄され、耐え抜いて無言でも行動した人々の心のあり方、なの
だと安岡さんは言いたいと思う。

 安岡さんは最後に、一族の歴史を描いた最後に、嘉助の孫娘の
あるエピソードを語る。

 彼女は「亡ぶるこの世、朽ちゆく我が身、何をかたのまん」と
いう賛美歌を歌って死んでいったという。

 安岡さんは最後にこういう、

 「この世に何かを求めながら、ついにそれらを得られなかった人
の無念を想いたい」

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