井上靖「本覺坊遺文」1981,井上靖の想像の乱舞、自由な想像力の発露の極みの大願成就、
本覺坊は茶会記に名前入が記されているから実在の可能性
はあるが、それ以上の資料はない。まして遺文めいたものな
どない、生年没年も分かるはずはなく、全て井上靖の想像力
の結果である。敦煌の由来もあれほどの想像力を働かせるの
だから、・・・・・。熊井啓監督で映画化されたことでも知
られた作品だが、・・・。
ともかく千利休、秀吉の側近的立場で仕え、絶対権力とは
相容れない精神性を持っていて遂には秀吉から死を申し渡され
た千利休の生涯、死を巡る謎は歴史的文学小説の恰好のテーマ
となってきた。比類なく作家らの興味をそそる素材であること
は確かで、それまで井上靖が手を染めなかったのが不思議だが、
いかに書くか、思案していたと思う。それが本覺坊の遺文とい
う形だからこれはアイデア賞ものだ。
かくて最低限の実在以上の資料はない「本覺坊」の遺文とい
う形での千利休にまつわる歴史的な価値へのアプローチである。
さも本覺坊という最低限の実在をフルに活用し、想像力という
のか幻想なのか、創造なのか、『本覺坊遺文』は利休の死と、
その心境について、本覺坊という「弟子」がさまざまな懐いを
巡らせるといういかにも小説らしいものだ。長編である。個々の
具体的事実より、利休が人間の生死や自己の運命をどう受け止め
たが、という点に重点を置いている。文学的な創造性の、想像性
のフル回転だろう。千利休と交際のあった何人かの武将や茶人を
配し、そのテーマを追求している。井上靖晩年の代表作である。
実質資料のない本覺坊を井上靖は描いていく。三井寺の末寺に
育ち、31歳のときから利休の弟子となり、茶の湯の席の裏方など
を務めたが、利休の死後は修学院在に引っ込み、利休と親交の深
かった人たちとの交際も絶ち、暮らしている。それも師の利休へ
の敬愛の表れであり、家に一畳半の茶室を設け、ひとり亡き師と
の対話を続けている。
作品は本覺坊んお遺文を現代文に書き直したものだと述べられ
ているが、それは無論、嘘である。小説だから許されて当然だろ
う、その設定のもとで、本覺坊の師との対話、回想、日記風の文
章など交錯し、本覺坊が見た夢の象徴的な話とか、年月的には四
十年に及ぶもので、井上靖の長年の念願を叶えた作品だろう。想
うままに自由な想像を働かせて作家の醍醐味というものだろう。
本覺坊は利休の死後、六年余を経て真如堂の南に隠棲する東陽
坊と出会い、思い出を語り合う。その六年後に尋ねてきた岡野江
雪斎から、やはり秀吉の怒りに触れて無惨足を遂げた山上宗二の
書いた茶の秘伝書を見せられる。さらに数年後、古田織部にも会
い、利休の最後の心境について聞かれ、大坂の陣の後も織田有楽に
も会う機会が多々。老年となり、利休の孫、宗旦の訪問を受ける。
太閤主催の茶会の話もした。利休をリカうするこれらの人々との
出会いが手記の節目となる。そこから問題が煮詰められていく。
だがそれらの人々も古田織部が謀反の疑いで自刃、次々と死を
迎える。彼らは本覺坊と利休との対話に多くの角度から解釈を加
える。その全体で茶の湯の本質、人の生死が問いつめられる。
実在はなんとか確認されても、実質、井上靖の創作というべき
本覺坊を存分に活用し、自在の想像力と探求をなし得たこの作品
で井上文学は完結したともいえる。大願成就の作品だろう。本覺
坊、それは井上靖その人ではないのか。
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