黒岩重吾『我が炎死なず』1975,不撓不屈の闘病体験


 黒岩重吾の作品でまず思い起こすのは一時期居住していた
という西成地区をテーマにした作品群だ、『背徳のメス』
、『飛田ホテル』などだが、その屈折に満ちた戦中、戦後体験
が現代人のエゴイズム、金銭欲を、愛欲を容赦なく暴く凝視さ
れた眼、を生んだのかも知れない。自伝的な三部作『裸の背徳
者』、『人間の宿舎』、『カオスの星屑』などで理解されるだ
ろう、

 やはり徴兵され、ソ連国境に近い北満で終戦、荒野をさまよっ
た挙げ句、何とか朝鮮に辿り着いて帰国を果たしたが、あまりに
も苛烈な体験だった。戦後は終戦後のドサクサに巻き込まれ、
苦汁をなめる。ゲテモノ食いで腐った牛肉を食べ、小児麻痺に、
長期入院、退院後も後遺症が残った。だがそれらの数多くの熾烈
を極める苦難を、絶体絶命の危機を乗り越えたその生命力である。
何度も生死の境をくぐり抜けたという、得難い!体験が黒岩重吾
を不撓不屈の精神の持ち主にしたといえる。

 『我が炎死なず』は長期闘病体験を綴った作品である。突然
、襲った麻痺へのいい知れぬ恐怖、もはや廃人となってしまう
のでは、という不安、絶望から復活した、厳しい訓練も行った、
麻痺を克服したのである。その数年間をいたって突き放したス
タンスで述べている。

 株の業界紙に務める「私」、黒岩重吾その人だが、ある日、い
来なり下痢、激しい腹痛に襲われる。ビールのコップせ持てない。
内ポケットのボタンが外せない、数日後からは声さえ出せない。
病院に運び込まれたが原因がわからない、遂には呼吸まで困難と
なる。だが一命は取り留める、だが全身は麻痺したままである。
だが気分は滅入って絶望しがちだが、あきらめない。渾身のリハ
ビリの開始である。最初は手や腕、次に脚の機能の回復を図る。
二年目からはやっと松葉杖で歩けるようになる。さらに徐々に杖
なしでも歩けるようになって社会復帰ができた。

 悪食による小児麻痺、回復への周年は北満から奇蹟的に帰還し
た根性だろうが、発病で株は失敗、財産を失う、親からの家も全
て手放す。母親にまでつらい思いをさせる窮乏、志比年ほど前に
結婚した新劇女優のS子との関係が徐々に冷たくなり、離婚にいた
る経過、看病するS子の不平不満の鬱積、だが淡々と描かれている。

 退院後、正式に別れ、学生時代の恋人だった秀子への想いが募
り、彼女と再出発しようという希望をいだいて再開を果たす、そ
こでこの作品は終わる。それまでの作品でも述べられた経験では
あるが。事実に最も忠実に綴られているようだ。スタンスは冷静
である。



 1973年8月の銀座での今東光主宰の「野良犬の会」で、30代に
見えると童顔が話題に

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