庄野潤三『ガンビア滞在記』1959,オハイオ州の田舎町での生活を写実的にありのままに

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 庄野潤三さんは大阪外語を出られての関西系作家だが、生年
は大正10年、1921年で大阪外語を出て九州大法文学部東洋史学
科だが戦時下で繰り上げ卒業、海軍予備学生、戦地には行かれ
てない。戦後、今宮中学、その後の今宮高校教員、野球部長で
今宮中学を甲子園大会に導いた。退職し、朝日放送入社、1955
年「プールサイド小景」で芥川賞受賞、1957年。オハイオ州mの
ガンビア,Gambierのケニオン大学、Kenyon collegeにロックフェ
ラー財団の留学生として一年間在籍、夫婦で渡米した。その体験
を綴った『ガンビア滞在記』である。

 現在はGoogle earthで即座に実際の位置、現状を見ることが可
能だ。ガンビアGambierはアメリカのオハイオ州ノックス郡にあ
る「村」である、ケニオン大学というカレッジがある。村の中央
を貫徹する砂利道が特徴だという。

 だが当時、ガンビアといって日本人はまるで想像すらつかない。
2010年当時は2300人ほどの人口だったが、当時は1957年当時は、
人口はわずか600人ほど、戸数200ほど、という何とも小さな村で
ある。町とは言い難いが、日本の農村風景とは異なる。大学があ
ある。庄野さんは1957年秋から翌年、夏まで留学生として在籍、
また滞在した。本書は、その間、親しく接した大学教授やスタッ
フたち、その家族、村の人々、移り変わる自然の風物をメモ的な
物語で綴っている。

 夫婦での留学生活、ゆとりがある。またリラックスしている。実
にナチュラルに周囲と親しんでいる。で一番印象的な登場人物は、
カレッジで政治学を教えている、ミノーという若いインド人教師の
一家、その妻はアメリカ人でジューンといい、ミノーが恋愛して学
生結婚したわけである。生まれて間もなさそうな女の子が一人いる。
はじめは庄野さん夫婦が落ち着いた家の向かいだったそうで、家族
ぐるみのつき合いになった。

 その他で物理学の教授で5人の子持ちのエリオットさん夫妻、数
学の二コディムさん一家、政治学主任教授のイングリッシュさん一
家、それと数人の学生たちが主な登場人物だ。さらに村で唯一の銀
行の頭取的存在?ブラウンさん、理髪店のジム、食料品店のヘイズ
さんあんど、また郵便局の人たち、レストランのおやじさんなど、
至って素朴な庶民たちと庄野さんは心安く付き合っている。

 筋らしい筋もないと思うが、強いて言うならばミノー夫婦の家に
、インドから老いたる母がやってきて滞在し、気が強いばあさんで、
これをめぐって家の中に波風が立つこと、ジューンの二人目の妊娠、
ミノーの大学との契約は一年で就職運動でやきもきする様子、その
就職も決まって、いたってのんびりした引越し。名残を惜しみ、新
たなる任地へ向かいミノー一家、庄野さんの留学期間も瞬く間に過
ぎて、この話は終わる。だが美しい自然の風物の季節の移り変わり
が印象的だ、「日本素晴らしい」安倍時代はテレビでに「外国でも
四季がある」と言ったらカットされていたという偏狭さだったそう
だが、四季の移り変わりは基本、あたりまえだが世界的である!

 この本特徴はオハイオ州のガンビアという村という場所だ。これ
は庄野さんの選択だという。夫婦で渡米し、地元の方と親しく交際
したこと、無理な背伸びのアメリカ論やアメリカ文明批判など一切
述べていないこと、忠実なカメラが写しだすような、ありのままの
印象記ということ、それを細かく書き留めていることだろうか。
何より村、あるいは町というのか、大学と溶け合っているという姿、
人々の生活、たしかに淡々たる素直な珍しい旅行記でもある。



 ケニオン大学、Kenyon College アメリカの大学はさすがに美しい

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