里見弴『月明の徑』1981,戦時下の愛人の芸者との往復書簡、隅に置けない里見弴
戦前は特に芸者というものを愛好した作家が多い、作家に
限らないが。瀧井孝作の『無限抱擁』とか、フラれたが近松
秋江、実業家でも商売人でも。今どき「芸者」などいう男は
いないと思うが、昔は違った。余談だが私の母の妹の亭主の
姉は、徳島県出身で大阪で芸者をやっていて神戸の菊水煎餅
の若旦那に身請けされ?結婚した。その菊水も消えてしまっ
た。そう云えば山本五十六も呉に芸者の愛人、ミッドウェー
の前にも切々と手紙、総司令官がこれじゃ負けるはずだ。
1959年に文化勲章受章、有島武郎、生馬の弟の里見弴、最晩
年の本だが新たに執筆したわけではなく、戦時下を中心の愛人
の芸者との往復書簡をまとめたものだ。1981年に刊行。でも
スミにおけない人だ。また特権階層である。
里見弴とその愛人の芸者の遠藤喜久との戦時下から敗戦、戦
後の往復書簡だ。8月15日をクライマックスと云うのか、225日
、一年半の往復書簡、だが芸者相手にデレデレ、とも言えない
真実味があるというわけである。遠藤喜久は芸者で大正12年、
1923年から「旦那様」の里見弴に仕えていた。
戦火は迫る、この一人のか弱そうな女性、20年間の愛の巣か
ら追い出され、疎開せねばならない。つまり初めて一人の女と
なって不安な混乱の現実に放り出されるのだ。頼る糸はただた
だ、これとばかりに喜久は里見弴にせっせと手紙を書く、その
手紙が内容の本だ。彼女は信州の上田に疎開し、静かな田舎で
の日常が描かれる。やたら悲痛とかヒステリーめいた文章は見
られない。・・・・・だからその叙述がえらく淡々を極めるの
で別に戦争も敗戦もなかったのでは?とさえ思えるのだ。
喜久の手紙の叙述は日常の光景が綿密に描かれ、十分以上に
面白い。最初は、田舎で「お砂糖」が貴重、少し経つと旦那様
のために取っておくという。やがて東京の家に残して来た砂糖
が欲しい、欲しいと繰り返し里見弴に叱られている。
同様に空襲で焼失の家の保険についてやたら心配している。
8月15日は泣いたのに、すぐに「本当に日本は負けてよかった」
と書いて愛国の里見弴に叱られている。
要は女としての愚かしさ、素直さ、哀れさをそのまま出すタイ
プのおようで、正直の述べているところがいい。「保険」も「
お砂糖」も願いの象徴であり、つまるところ「旦那様の所に帰り
たい」のである。
「後生一生のお願いです。一日も早く私の願いを叶えて下さい。
旦那様は空気みたいで、そばにいる時は別に当たり前のような気
がしますが、いなくなると息苦しいほどで」昭和20年10月7日、
「東京でも、鎌倉でも、旦那様のおそばに行きたく存じます。
こんなことを毎度申し上げるのはまるで駄々っ子のようでうで
、自分でも恥ずかしのですが」
このような内容が繰り返されているのだ。真実はここにあり、
だおろうか。戦争とは別の実在だろう。まことに日本女性的、
もういなくなった女性のタイプかな。
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