精神病院を廃止したイタリア、されど「認知症ブーム」に官民挙げて舞い踊る日本


 日本という国は精神病ブームがたびたび起こる国である、
それも当然で精神病院、精神科病棟を持つ病院は国内で1600
を超えており、入院者数も30万人近い、これでもかっては35
万人を越えていた時代もあった。「減少傾向?」だ国際比較
で世界ダントツだし、今後は「認知症ブーム」で逆に増加す
る、すでに「収容所列島」とさえ批判されている現状がさら
に悪化する可能性が高い。批判を加えるべきメディアが近年
、全く医療利権と優生的措置に無批判となっている事情も指
摘できるだろう。

 このような異常な精神病院病棟の盛況にもう相当以前から、
四半世紀どころではなく国連は日本に人権の確保、自体ん改
善を勧告しているが、日本で起きるのは精神病名のブームで
あり、少し前は「発達障害ブーム」、そして今度は行政も絡
んでの「認知症」の熱狂的ブームで疑問を差し挟む雰囲気すら
許容しないのである。

 日本の精神病院、精神科入院の本質は「邪魔だから安上が
りに閉じ込めておく」介護付き老人ホームのあまりの料金を
考えれば、と「認知症」が実は国民の切実!な要求に発し、ま
たそれは精神病院の安定利益となり、警察庁の運転免許更新
時の「認知症検査義務化」に見られる「優生的行政」による
国民統治!である。

 精神病院入院患者には度重なる患者の虐待、家族と相談して
の処分死も日常である。今は具体的に施策が変わったがのかど
うか、日本の行政は隔離収容型の劣悪な民間精神病院の建設を
奨励してきた。本質は「社会的入院」、ローコストで閉じ込め
る、、社会から隔離というものだが、その結果は惨憺たるもの
である。

 さてイタリアの精神病院廃止に話を戻すと端的いうと精神病
は本当の病気ではない、心を病んでいるようでも入院など全く
必要はない、社会の中で改善すればいい、というものだ。イタ
リアと云って一挙に、イタリア全土ではなく、地域ごとであり、
たとえばトリエステである。もうクロアチアとか、スロヴェニ
アに近いが、このトリエステでの経験をベースとし、イタリア
では法律として1986年に「精神病院の神起の入院は禁止」とい
う法律が制定された。ただしローマやナポリなどのように意識が
旧態然たる地域には混乱を招いたということはある。だがイタリ
ア全体として「精神病院入院のゼロ化」は大きく進展したので
ある。

 心を病人を入院させるのと社会で通常の生活送りながら、との
比較だが、トリエステの精神衛生センターの医師は「以前より、
実質、お金がかかっていない」という。イタリアでの改革の祖と
いえるF・バザリア医師がサン・ジョバンニ精神病院院長になった
1971年、トリエステで精神医療に使われた資金は年間60億リラ、
それから15年後の1985年には150億リラ、だがこの間にイタリアら
しく物価は4倍に上昇だから相対的には激減なのである。これは
心を病むとされる人たちが退院し、在宅で暮らすようになった場
合の補助金も含めてである。

 医療従事者はかってサン・ジョバンニ精神病院で500人ほどが
働いていたが、425人に減った。人件費は減少し、かわりに地域
の精神衛生センターの設立がなされ、スタッフはそちらに回され
た。精神病院の投薬も大きく減った、入院中の過剰投薬、薬漬け
が解消されたのである。

 イタリアとて完璧な医療を行っているとも言えないが、旧精神
病院を廃墟としたことは誤りではない。閉鎖的な病棟思考に凝り
固まった日本の精神病院、今度は官民挙げての「認知症ブーム」
という日本は超高齢化で収容所列島化がさらに推進される可能性
が高い。認知症という病名は危険で誰でも認知症とされる可能性
があり、権利の剥奪、人権の制限、また生涯入院の増加が現実化
している。「認知症」を英語でdimentiaというが、アメリカなど
で決してdimentiaブームは起きていない。日本だけが「認知」と
いう病名でブームが舞い上がるのみである。

 日本の現状は危険である。

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