驚愕の雑誌報道「無免許運転を続ける五味康祐氏」1959年(昭和34年)5月、1964年には遂に2名の死亡事故
1959年、昭和34年5月の雑誌記事を見つけた、今から考えれ
ばおそるべきアウトローである。まだ世間がいまほど交通事故、
交通違反に厳しくなかった、とも言えるが、雑誌に堂々の「
無免許で自動車運転を続ける五味康祐氏」(実際は五味氏)
このような記事文章である
五味康祐氏が無免許で中型ヒルマンを乗り回し始めてから、
だいぶん経つが最近、起こった逸話を二つ。
①欧米旅行から帰国したばかりの檀一雄氏が、早速お手並み
拝見とばかりに乘せてもらったが、石神井に向かう途中、板塀
を見事に壊す常習禍に見舞われた。無理もない、五味氏は和服
にハカマという出で立ち、アクセルを踏む足ももつれるだろう。
長髪もひたいから垂れ落ち、目を塞ぐこともありそうだ。これ
まで無免許運転で数回捕まっているが、当の五味氏は「罰金を
払うほうが免許を取り費用より安い、第一、いつ捕まるかという
ヒヤヒヤのスリルがたまらないね」
②同じく剣豪作家の柴田錬三郎氏が五味氏の車に乗ったら、も
うむちゃくちゃ飛ばす。深夜で、さすがに肝を潰した柴田氏が、
「もう、あいつの車には乗らんよ」とボヤいた。だが五味氏は「
いや、ぼくは違反で捕まりたいんだ、今度は六回目だから」とニヤ
ニヤして「一刀斎は背番号が六番だから」
以上だが、このおそるべきアウトローは1964年1月に二名を
轢き殺す重大事故を起こした。天下の雑誌二このような記事が堂
々掲載されて、何も問われない、問題視されないのだから、昔は
ともいいたいが、いくらクラシック音楽をたしなみ、剣豪小説を
書いても極端な無法ぶり、安全意識の欠落、盗用の常習では、こ
れが剣豪作家の実態なのであった。
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