安岡章太郎『アメリカ感情旅行』岩波新書、予定を切り上げ、突如帰国、失敗も作品化、転んでもただでは起きない作家魂

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 見ず知らずの外国では日本での肩書、地位は実際、意味は
ない。名刺ほどの意味すらないだろう。だから外国を歩き回
るとは、常に新しく変化する環境で、現実処理の能力が求め
られそうだ。人間的魅力さえも秤にかけられる。その結果も
明白に出るから、だから海外旅行は面白い、となる。私は
経験ないが、仄聞である。

 で、あの安岡章太郎さん、意外と言えば意外だが、ロック
フェラー財団の研究生として一年間、米国留学されている。
庄野潤三さんも、・・・庄野さんは田舎の大学を選択され
て、いたって愉しく和気あいあいだったようだ。1960年11月
から安岡さんはアメリカ南部テネシー州Vanderbilt University,
ヴァンダービルト大学に研究生として籍をおいた。だが一年の
予定を、半分も過ぎない、5ヶ月で奥さんとともに突如、帰国
したのである。その間の見聞、個人的体験を日記体で綴った本
である。安岡さんに限らないが、私小説的気風に満ちた日本人
特に安岡さんは不合格苦渋体験など、失敗談を作品化する、転
んでもただでは起きない、その習性が顕著だ。でも安岡さんら
しいと思う。

 安陸さんにとってのアメリカとは何であったのか、常に思い
およらぬ方向から雑多な商品を速射砲のように発射するような
、安岡さんは対応できなかったようだ。そこで数多くの些細だ
が事件が発生した。

 中国系アメリカ人の教授の家でうっかりアメリカ製ウィスキ
ーを貶して気まずい雰囲気、クリスマスの夜、モーテルで夕食
の予定が先約で満席、危うく夕食にありつけない危機、南部の
アメリカ人の北部への根強い反感、また有色人種への偏見、差
別、同時に卒直明快なアメリカ式善意への恐怖感、安岡さんは
自意識の奥に染み込んだ、「アメリカ」コンプレックスをベー
スに「感情旅行」を織り上げた。

 まあ安岡章太郎さんだ、わがままで自意識は強い。感受性は
限りなく鋭い、外国の欠点を見事に見抜く、それをまた、実に
美しい文章に仕上げるのはさすがに作家である。ある意味、こ
れは一種の詩であろう。

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