人生は二十歳までが全て、後はそれが展開するだけ

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 人生は二十歳、20歳までが絶対に重要、大切は間違いない。
ここで好ましい環境で幸福に健全に育つ、ことがいかに重要
か、である。ここで親の不注意で何か生涯のハンディとなり
かねないハンディや病気という不幸を被らないことの比類な
き重要さ、また幼年期、子供時代、青春時代でいかに生涯の
幸福な想い出をもち得るか、好ましい人生の選択につなげら
れるかである。無論、本人の努力はある、それは当然だが、
記憶も定か出ない幼年期に親の不注意で叩きこまれたハンデ
ィはどうにも対処の仕様がないのである。さらに二十歳まで
の記憶は、想い出は人生の幸福、不幸に即、つながるのであ
る。

 この年齡となり、壮年期はほとんど忘れていた二十歳まで
に受けた限りない不幸な記憶が蘇ってきて正直、弱り果てて
いる。若い時代から壮年期、その後しばらくはまだまだ「将
来幻想」がある。いかな二十歳までの屈辱、不幸、災難も、
将来リヴェンジ出来る、という思いが根底にあるから、ある
意味、忘れて生きていける。だが人生の残り時間が相対的に
短くなると屈辱、不幸、不満足のリヴェンジも全て幻想と思
い知る。どうにようもない、どうにもならない過去というも
のだ。つまり、高齢で幸福になるためには幸福な過去の記憶、
特に二十歳までの記憶、想い出が大切ということ、当たり前
と思われるかどうか、最後が良ければ過去が悪くてもいい、
ことにはならないのである。

 といって二十歳までは人によりけり、社会的に信用を培っ
た好ましい、良心と家庭に育てば、まず幸福な子供時代、
青春時代だが、・・・・・私のように、到底考えられないよ
うな不幸、不快、あり得ない苦渋、屈辱が中性子星のように
二十歳までの高密度に凝縮、下手すりゃ、不幸と汚辱の高密
度の挙げ句、ブラックホール化してしまいかねない、ような
「二十歳まで」では、その不幸がその後も展開せざるを得な
いわけえである。全ては愚痴ではあるが、親を選ぶというと
いうことがいかに重要か、もしそんな親であろうと病院出産
で取り違えられ、健全な家庭に、という奇蹟でも起きない限
り、逃れる術はなかった。それもどうにもならない、ことで
あった。

 人生は二十歳までがまずは、全て、その後良い意味で人生
が展開する二十歳までならいいが、その逆もあるわけである。

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