中村光夫『佐藤春夫論』谷崎潤一郎称賛、佐藤春夫否定の理由

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 中村光夫が谷崎潤一郎を称賛し、佐藤春夫を否定する、と
いう噂、というと変だがそれは以前から読み物で知っていた。
谷崎潤一郎も実は知られざる部分がある、弟は谷崎精二は著名
だが他の弟、妹は養子にやられている。でその弟は和歌山の
旅館で下足番、それをみた石川達三が「谷崎精二先生にそっく
りだ」と驚愕、妹は夫と主にブラジル移住、そこで離婚、再婚、
妹は怒りを込めて語る「この世に乳が出ないから子供を何人も
養子にやる家庭なんてそれほどあるでしょうか!」要は谷崎が
描く「幼年時代」などと異次元な現実があったのだ、東京の農
村の親戚にやられた妹、小学生の頃遊んでいたら一高生だった
潤一郎が友人と偶然、家の前を通りかかった。それで養家の
両親は潤一郎らを大歓迎、妹の小学校の成績表を潤一郎に見せ
た、「いい成績だ」と自慢で、そうしたらそれを見た潤一郎、
ちらっっと妹の顔を見て「学校の先生、お前を贔屓しているん
じゃないか」この言葉を聞いて妹は非常に心外で怒りを覚えた
とい、・・・・・・この話は中村光夫の著書には何も出ないこ
とだが、私は作品だけ読んでの谷崎礼賛にも疑問を感じざるを
得ない。「少将滋幹の母」でも妙に余裕綽々、同じ色好みの
平中を描いても芥川の「好色」と比べ、文章は段違いに劣ると
思えてならない。

 以上は余談であるが、・・・・・さて1961年から『文学界』
に連載されたものだ、第四章の「青白い情熱」はその補遺とし
て同じ「文学界」に事後的に掲載されたもの、最終章は1962年
1月に佐藤春夫の「うぬぼれかがみ」への回答として書かれた
ものだ。章ごとに独自の成立の事情がある、というのが奥ゆか
しい。

 実は連載前からの佐藤春夫、中村光夫の論争の心理的なつづ
き」とshて、さらには佐藤春夫という「話の通じない対象」
を通じて、当時なお残る、大正時代の文学理念の「病根」を摘
発しようという中村光夫の態度で、まずは筋は通っておる。中
村光夫の論争と云えば広津和郎との「異邦人論争」もあった。
「異邦人」などさほど評価に値しない、という広津和郎に「
年は取りたくないものです」と中村光夫、ま広津和郎は余裕の
対応だったが。

 最初の二章、「田園の憂鬱」、「都会の憂鬱」では中村が挑
むものは佐藤春夫の「個性変調」という「大正ロマンティシズ
ム」だという。当時は驚嘆すべき斬新さと受け取られた「田園
の憂鬱」の閉鎖的世界に閉じこもると同時に、芸術家である佐
藤春夫が一般の社会生活から離反してしまう、ことを鋭くつく。
この欠陥は一種の散文詩である処女作では魅力ともなったが、
人間の中に「芸術家」を定着しなければならなくなった「都会
の憂鬱」では人間同士の交流の欠落というかたちで暴露される
、という。だが「都会の憂鬱」も名作とされたのは、その砂糖
春夫の思想が時代に共有されたからだという。

 だが最も問題とされているのは、「夫人譲渡事件」という有
名は話で、この二人の大作家の恋愛事件である。佐藤春夫の才
能を敬愛し、恋愛にも敗北した谷崎が、かえって「痴人の愛」
などの「画期的作品」で、偽悪家というポーズを捨てて日本の
伝統を愛する常識人として成熟した、その道に足を踏み出した
、だが佐藤春夫は成熟の好機を恋愛勝利で失った、というのだ。
ここらは最も力点が置かれている。

 「青白い熱情」では習作期の佐藤春夫にあった可能性の挫折
を述べる。佐藤春夫の反抗も実父の庇護下の反抗であったこと
を実証、「父」を結局、乗り越えられない大正の作家の弱点を
もち続ける羽目になった、というのだ。

 最終章は佐藤春夫との論争への回答、佐藤批判は一貫し、倫
理的側面ガラ行われている、・・・・・

 では名作を連打しつづけた谷崎に比べ、佐藤春夫はそれがなか
った、から全然だめなのか?それは違うと思える。谷崎ほどの
名声なら「瘋癲老人日記」で「毎日出版大賞」の栄誉に輝ける、
だが本当にそれほどの作品だった?佐藤春夫の優れた感受性に基
く詩人としての才能、業績にあまりふれていない、とのうらみは
ある。

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