平林たい子『不毛』1962,プロレタリア作家から戦後の保守化の要因
現在は古書でしか入手できない作品であるが、実は意義深い。
戦後の平林たい子の著しい保守化のその理由というと何だが、
ある種の幻滅が要因であったと推察されるものだ。
要するに、この作品は非常に個性的な、苦渋に満ちた幻滅の
を述べたものだ。夫に対する、また政治に対する、激しい失望
が、きわめて正直にあけすけに述べられている。
政治的な情熱に憑かれ、笑えぬ悲喜劇をくり返し、なおその
幻夢から覚める気配のない夫の醜態が妻の立場から暴かれてい
くのだ。
さりとて、これは政治的な抗議でもないし批判、糾弾でもな
いだろう。この作品は、終始一貫、「妻」という立場から語ら
れているのである。夫は善意と情熱に満ちている、だが何一つ
実を結ばない「不毛」の典型のようだ、その姿が鮮やかに浮か
んで来る。語り口がもう開き直ってのさばさばしている。何と
も云えぬ、もう諦めの境地が見て取れる。
夫とはこういうもの、男なんてどうせこんな生き物、という
見極めが、最初から女性主人公のうちに根を張っているようで、
結局、この夫婦は破局にい至らないで終わる。
でかい坊ちゃまの性懲りもないいたずらを、終始冷静に、し
かも余裕綽々で上から見下ろしている感じだ。でも我儘な小説
ではある。幻滅以前の夫婦生活については何も書かれていない。
また登場人物も時にはモデルに寄りかかり、説明は不足していて、
読んでもさっぱり事情がわからない、という趣もあり、相手の正
体は見極めながら、何とか折り合いをつけて最終的な破局は回避
すうr,年季を重ねた夫婦生活の奇妙な時間だけは表現されてい
る。
終戦直後から社会党らしい進歩政党が連立政権を作るあたりま
での時代が舞台となっている。「引力のない世界に行ったように
人間が身軽となって何でも出来る心地」というような戦後の解放
感の中で、以前から左翼思想運動に打ち込んでいた夫はさらに水
を得た患者よろしく政治にのめりこむ。
ところが打算を知らない非妥協性と甘い一本調子から、次々と
同志に利用された挙げ句に見捨てられる。手弁当で夢中になって、
ある先輩の選挙運動にのめりこむが、先輩の妻からは食事一つ出
さない。やっと当選した先輩も、議会に嫌気が差すと断りもなく、
あっけなく辞任する。労組の方も、長続きしない。ついには用事
ありげに外出してはパチンコに耽る。
こうした夫の行動と性格を冷静に見抜いていた妻は、古い知人
の韓国人や若い現実主義の若い党員に心惹かれたり、何もなく終
わる。
「パチンコと政治、どれだけの違いがございましょうか」で終
わる。妻の感慨である。平林たい子さんだから凡庸には終わって
いない。
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