臼井吉見『小説の味わい方』あふれる教養と高い鑑賞眼で自在な小説鑑賞講演会の趣
新潮文庫の古書で入手可能、日本を代表する!文芸評論家
だが自分自身で『安曇野』という長編小説がある。安曇野の
ご出身で、そこから川端康成の自殺にまつわる作品も、安曇
の出身のお手伝いさんの退職がその原因?そんなはずもない
が、どうしても「安曇野」を出したかったのだろうか。山口
瞳の文章を黙って自分の文章みたいに使ったのはいただけな
い。それと「筑摩書房」創業に関わり、一貫してその幹部で
あったと思う。
・・・・・・とにかく日本の文学、それ以外でも教養に満
ちて見識、鑑賞眼が高い。お世辞ではなく。・・・この本は
全く自由奔放な小説案内で著者の教養がほとばしっているよ
うだ。臼井吉見さんは旧制中学一年の二学期に「中央公論」
の創作欄に掲載の芥川龍之介、菊池寛、正宗白鳥、谷崎潤一
郎、佐藤春夫などの作品を読み、初めて日本の現代の小説を
読んだ、という。そこで目からウロコが落ちるような経験を
し、人間の持つ深淵さを痛感したという。それから数十年も
好きな小説を読み続けて、小説の評者としては当代随一との
評価まで勝ち得た。長く朝日新聞の文芸時評をも担当した。
この実績は、それなりに大したものだ。安曇野のその臼井吉
見さんが、制約をから逃れて自由自在に小説について述べた
本である。
多くの章があるが「滑稽と風刺」、という章、宇野浩二の
「蔵の中」を菊池寛が「大阪落語の味がある」と評したのに
対し、宇野浩二は「なら君の『忠直卿行状記』には張扇の音
がするぞ」とやり返したとか。それに倣えば、この本は、
講堂で大勢の聴衆を前に行う文芸講演会の趣がある、という
ことだろうか。・・・まあ、至って自在で自己流で飛躍もあ
るが、その鑑賞眼の高さはやはり素晴らしくもあり、読み物
としてた有意義で面白い。
どんな章があるかというと、「好色文学の問題」、「姦通
小説と恋愛小説」、「文学と道徳」、「モデル小説とプライ
ヴァシー」、「私小説と心境小説」、「自伝小説と自己形成」
、「歴史小説とは何か」、などこれだけ見るとつまらない気
もしないではないが、「アンナ・カレーニナ」、「ボヴァリー
夫人」、「千羽鶴」、「武蔵野夫人」など、また大岡昇平が
論争を井上靖にふっかけた「蒼き狼」、この本出版の少し前
の「瘋癲老人日記」など引用豊富、ただどれも凡俗に堕して
はいない。独自の趣味性もあって面白いといって差し支えな
い。
でも聴衆に向いて話していたかと思えば、突如、小説家に
顔を向けて本来の良識で斬り捨てる、という趣だろうか。
だが終始、根底にあるのは社会の常識に満ちた教養人として
の見識と風格だろうか。常に小説を文明批評的観点で見て、
社会性を求める心的態度であるといえる。逆にそれが凡俗を
超えて気がつけば凡俗だった、というケースもありそうだ。
基本的に「私小説と心境小説」、「自伝小説と自己形成」な
ど日本風土に根ざした内容がいいと思える。『太陽の季節』
などは味噌糞も当然といえば当然だろうか。鑑賞に絶対はな
いから、読めば教養を受け取れるから損はないということだ。
どこまでも「安曇野」を漂わせている、、と思うのは考えす
ぎだろうか。
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