劇団四季、あまりに不自然な台詞回し、違和感で現状では茶番劇ですらない

私自身、長く「四季の会」に入り、何度も四季を観たし、ま
た日本の東宝、ホリプロ系のミュージカル、またOSK日本歌劇
団なども、だが日本に本当のミュージカル劇団ははごく少ない。
ミュージカルはオペラと異なり、舞踊が歌と並ぶ大きな要素で
ある。オペラは歌自体が台詞の全てだがミュージカルは歌では
ない、地の台詞がある。オペラは基本、クラシック音楽が基調
である。ただ「浅草オペラ」のようなものは、特異である。
宝塚、OSKは女性だけという特殊性がある。
そこで宝塚と並ぶ日本最大の劇団と称される「劇団四季」で
あるが、私はずばり言うなら、宝塚を茶番劇と云うなら、四季
は茶番劇ですらない、と思わざるを得ない。海外から高額なラ
センスで取得した演目を、・・・・・国内で公演してくれるの
は日本人にとって幸運だと云いたいが、何度観ても、一度たり
ちも面白いとも、いいと感じたこともない。日本のミュージカ
ルは宝塚、OSK、無論、ミュージカルそのものの東宝、ホリプ
ロミュージカルを観て、劇団四季公演で感じるほどの違和感、
不自然さ、はほぼ感じない、実に流路感があっていい、素直に
感動できる、だが四季公演ときたら、違和感を感じて、感動ど
ころではない。脚本、歌の台詞と、普通の台詞もあるが、とも
に「四季式発音」、一音をことさら明瞭に、伸ばし気味に、
なにか吃音強制の学校の発音練習みたいなガチガチな感じで、
およそ演劇の台詞とは云い難い、不自然さだ。
その違和感ある台詞回しが演技への大きく影響し、流露感
を著しく欠いているように思えて全く楽しめない。東宝ミュー
ジカル、またホリプロのミュージカルではそのような、四季で
感じるような違和感は全く感じない。日本語とミュージカル、
の親和性のなさ、は言われているが、ならば東宝やホリプロの
ミュージカルを観ても似たようなもののはずだが、全くないの
である。四季の台詞回しは脚本の稚拙さを助長している。それ
が全体の構成の不自然さにも繋がっている。
浅利慶太は、なにかといえば自らの四季劇団を「演劇の大学
院だ」ともちあげ、「四季式発音法」を最大限の重視徹底、で
新劇を味噌糞に貶していたが、私はこの浅利慶太の四季式の発
音、発声法こそがまず最大の要因だと思える。
ただえでさ日本語とミュージカルの相性は問題がある、その
克服には要求されるものは自然さである、あの吃音矯正的な、
四季の発音、発声法では演劇の流れが阻害されて不自然となっ
てしまう。ダンスにも悪影響を与えている。
また使われるマイクのアンプによる爆音がすごく、あれで歌
手とは云い難い。
あの台詞回しでは劇団四季は残念ながら茶番劇でさえない、と
言わざるを得ない。
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