山崎豊子『仮装集団』1967,労音とその背後にいる日本共産党を俎上に載せる

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 この作品は山崎豊子にとって異色作である。1966年1月か
ら1967年2月まで「週刊朝日」に長期連載された。その力の
入れようがわかるというものだ。「花のれん」に始まる大阪
船場を舞台とした商人もの、そのご「白い巨塔」を1965年か
ら「サンデー毎日」に連載、1973年に「華麗なる一族」を「
週刊新潮」にその後、「不毛地帯」1976~1978に連載、「
二つの祖国」、「大地の子」、「沈まぬ太陽」など誰もメスを
入れない現代社会の問題、歴史的問題を提起する作品を連打、
だが長編では『仮装集団』、『約束の海』が映像化されてい
ない。

 『仮装集団』は労音、日本共産党がモデルとなっている。
『白い巨塔』の阪大医学部、『華麗なる一族』神戸銀行など
を保有した岡崎財閥、『不毛地帯』の瀬島龍三、というモデ
ルを持つ、というのが山崎文学の特徴である。別に山崎豊子
に限った話でもないが、スケールの大きさは日本の小説家と
しては図抜けている。

 『仮装集団』が政治と芸術、興行という問題をテーマ化した
もので労音、日本共産党がモデルである。そう考えないと、一切、
説明ができない」日本共産党は医療では民医連、協同病院、生協
歯科などを下部組織としており、それは共産党の資金源となって
おり、公安の監視対象であるし、世のコープも共産党と親和性が
高い。やはり公安の監視団体となっている。「赤旗」などの新聞、
出版物は本来的な資金源だが、興行収益を目論んでの労音も共産
党の大きな資金源だ。民音は創価学会系である。目的は興行収益
である。

 実は「週刊朝日」に『仮装集団』の連載が開始されて三ヶ月後
くらいに労音で問題が持ち上がった。東京労音新交響楽団から
芥川也寸志が飛び出たのである。音楽誌の編集者などは「アマ楽
団の分裂騒ぎなど三行記事にもならない」とか労音残留組は「
政治的偏向などとんでもない、純粋な芸術団体の内部騒動だ」、
また「なぜ騒がれるの?要はあの人がスターだからでしょう」と
大きく話題をまいたのは事実だ。

 参考までに労音と芥川也寸志との議論を一部載んせると

 労音:新交響楽団が誰のための活動なおか、そのせ成果を本当
に皆様方、一人ひとりが掴まないと困難な問題が生じる。新響の
進むべき方向を明らかにしてほしい

 ★1965年末から芥川也寸志氏と第二オーケストラの指揮者の
岡田和夫氏を1966年2月末で解任する。団員は3月に再登録する。
新組織で再出発したいと労音が提示

 芥川:これが最後通告か?

 労音:解任でなく交代だ、これは各交響楽団と同じだ、同じ
指揮者が永久にはない。

 芥川:私は労音問題にケチをつけようとは思わない。それは高
く評価はする。新響が労音にプラスとなると信じる。労音運動の
基本が民族的、民主的、大衆的なものですが、それは決して一党
一派に偏さないと受け取っていいでしょうか?民主的、大衆的で
同時に一党一派に偏さないというのですね、極端に言えば、赤尾
敏氏が来て入ってもいい、というこtでhそうかね。労働運動に
協力する人だけが会員となれるんでしょうか?

 労音: 労働運動に協力とは?

 芥川:基本的任務を認めた人だけを入れる、というのではないん
ですね?新響には社会党員もいれば共産党員もいる、私のように
何処に所属しない者もいる、これは一党一派に偏さ内なら当然で
しょう。

 労音:ある政党に属さないと労音に入れないわけではない、だが
民主的に会員の意志を汲み取って活動だから、その総意には拘束さ
れる。

 芥川:要は私が昨年11月に日本音楽協会(日本のうたごえ運動が
左傾化しているとして脱退した全電通、全逓労組などが組織した音
楽団体)の会長に就任したのが実質的な解任理由なんでしょう。


 ♠さて、芥川と労音のトラブルを見て、『仮装集団』連載中の
山崎豊子が執筆動機を述べている、

 現在、私が「週刊朝日」に連載中の『仮装集団』について、労音
をモデルにしていると、東京労音の大蔵事務局長から抗議を受けた
矢先、芥川也寸志氏の騒動が起きました。軽々しくは申せませんが、
労音は勤労者のためにいい音楽を安く聞かせるという音楽鑑賞団体
には違いないが、それだけが目的ではない、と思えます。

 なぜなら、労音から刊行されている「月刊労音」や東京労音の
「ひびき」などを読むと合言葉のように、勤労者がいい音楽を安
く聴けるための平和的な民主的な社会を闘い取るべきと書かれて
います.それを妨げるすべてのものと闘うとも書いていますね。
非常に高圧的で高飛車です。今度の芥川氏の件も、労音の組織の
中で、自分の音楽理念を実践しようという芥川氏に政治的思想的
偏向を押し付けている点に現在の東京労音の性格が窺えます。

 いい音楽を安く勤労者に、という経済的次元の考えを政治に絡
ませて、音楽以外の政治的な目的を持った音楽集団を組織したい、
それはあきらかに音楽鑑賞団体の名を借りた大衆への思想誘導の
欺瞞というしかないでしょう。

 労音の対抗団体には経営者側の組織の音協、創価学会の民音、な
どがあり、最近の政治的情勢もあって厳しく対立しています。そこ
には芸術、興行を政治の利用するという、本来の音楽鑑賞団体から
逸脱したものがあると思います。勤労者に安くという仮装で実は
思想の扇動を行う、政党の資金源とするというなら芸術が政治に支
配される構造でしょう。

 たまたま私が小説の形で問題を提起し、考えようとしたことが、
現実の問題となっています。音楽と政治の歪んだ巧妙な結びつき、
その背後の政治勢力、政党について時間を十分かけて完成させる
所存でございます。

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