平林たい子『宮本百合子』1972,平林たい子の遺著、最晩年の文学的執念の結実

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 戦後、保守化に徹し、反共的立場を取り続けた平林たい子
の死後、刊行された本である。平林たい子は1905~1972、
1972年の2月で享年は66歳、やや早世である。その後、1972年
7月に文藝春秋から刊行されたのが『宮本百合子』、現在は
『林芙美子・宮本百合子』として講談社文芸文庫で出ている。

 実はこの文藝春秋からの平林たい子著『宮本百合子』には
「日本虚無党顛末」、「エロシェンコ』、『宮本百合子』の
三篇が収められている。実は全て「別冊文藝春秋」に掲載さ
れた文章であり、発表順で言うなら「エロシェンコ」が1970
年9月、「日本虚無党顛末」が1971年3月、「宮本百合子」は
1971年9月から翌年3月にかけて発表されたものである。つま
り平林たい子の晩年の執筆の努力はこの三篇に注がれたと云
うべきである。「宮本百合子」の最後の回は遺稿として発表
されたものだ。

 だから現在の講談社文芸文庫の「林芙美子・宮本百合子」
と収録作品は異なる。

 「日本虚無党顛末」、思わず「何?」といってしまいそう
なタイトルだが、大正末年に処刑されたギロチン社のテロリ
スト、中浜哲と古田大二郎を主人公として、実は伝記的小説
である。「エロシェンコ」、「宮本百合子」はタイトル通り
の内容である。ただこれらの作品を単に伝記的小説と括るの
も適切でもなさそうである。エロシェンコはロシアから日本
に亡命した盲目の詩人、三作品ともアナーキズム、共産主義
と関わっている。

 エロシェンコ、宮本百合子はよく知られているが、中浜哲、
古田大二郎は処刑されたテロリストである。江口渙の回想記
や古田大二郎の手記でその痛ましくも悲惨な生涯は一部に限
って知られていたともう。その意味で「日本虚無党顛末」は
価値がある。主義、思想に殉じた人たちを選んだ平林たい子
の、保守化したとは云え、自らの生涯を振り返り、検証した
といえる。

 信州諏訪、だったろうか、そこの女学校を出て上京、アナー
キストの群れに身を投じ、女だてらに、いわゆる「リャク」
に従ったなどは自伝でもよく知られている。長編自伝『砂漠
の花』である。そのスタートから平林たい子はマルクス主義
系の芸術家団体のメンバーとなって、なかなか気骨ある!
女流作家となった。戦前は、たい子はその信念で反体制思想
に生きた。戦後の保守化、反共化した自分を検証したかった
のだろうか。

 そこで「エロシェンコ」が一番、内容は軽い。挿話的だ。
神近市子とエロシェンコ、秋田雨雀の三角関係も浅い記述だ。
逆に「~顛末」と「宮本百合子」は質量とも力作と言える。
中浜哲などには非常に同情的、宮本百合子は徹底した批判を
加えている。それも細かい点に及ぶ、が宮本百合子の生涯、
その全体の批判は希薄だと思える。結果的に遺稿となったく
らいで健康の悪化、肉体的な衰えでこれだけ書き上げるのが
限界だったようだ。文章もやや乱れがち、編集部も手を入れ
ていないと思う。それゆえに、平林たい子の遺著となったわ
けであり、最後の文学的執念の結実だったはずだ。

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