室生犀星『黒髪の書』1955,新潮社、詩人の抒情性が既に燃焼して希薄すぎる
1955年、昭和30年に新潮社からの単行本で、その二、三
年前までの短編、随想を収めている。古書で容易に入手で
きると思う。この本で読まないと全集でも当たらないと難
しい作品もある。『黒髪の書』という本のタイトルだが、
そのタイトル名の作品はない。
『鞄』、ボストンバッグ、とルビがある。それと『汽車
で逢った女』、『餓人伝』、『命』と以上が短編で、他に
『詩人・萩原朔太郎』、『詩人・堀辰雄』最後に『蝶紋白』
という身辺雑記、
『鞄』、『汽車で逢った女』は連作である。なんとも疼く
ような欲情と鞄だけを下げて、近県の刑務所を出た男が上京
の汽車の中で一人の女と知り合う。聞いた住所を訪ねてみる
と、「特飲街」の女である。しかし二人は、「ただ、二、三
度の関係で、何でも打ち明けて世間から選ばれた二人」とな
って「誰一人も指一本ふれられない」人間となっていた、と
云うのが筋のようである。どうも情趣が希薄、通俗的である。
室生犀星が何を書こうとしたのやら、読みにくい文章だ。
序文では「『鞄』、『汽車で逢った女』の生き方は、こんな
世界にはいらないという生きられない難しさがあり、その難
しさを簡単に解き明かした一人の男の道は、何処から見ても
いろんな世界に通じる透明さを見せている。『餓人伝』のあ
くどさは、実際は透明無類な境である。みんながこの中に
あることはう疑いない。・・・・・」この序文からして意味
が本当にわからない
序文でも述べられた『餓人伝』、乞食夫婦とその女房の
愛欲を求めるたくましいもう一人の乞食、という三人の異常
な関係を描く。当時の本当に貧しい日本を描く。これらの乞
食はいずれも堂裏に野宿する。女の乞食は、ある種のストリ
ップで男から金をもらう、というどん底の世界にいる。
人間の手垢の付いた世間智や俗世故をかなぐりすてての限界
状況の生き方、なにか下品だが、透明な救いに似た到達の世界
ではないのか、それを云いたいのだろうか。作品中の人物とき
たら、ムショ上がり、売春婦、最下級の乞食の群れ、畜生道を
疑われそうな男女、こんな人物を取り上げる室生犀星も実は
容易ならざる人生行路があった、ということだろうか。
だいたい室生犀星は詩人として知らているが、文章を書くと
ことさら抒情性は吹き飛んで、構文から内容、品位で下品な
文章を書く傾向があった。この単行本もそれなのだ。
かって『あにいもうと』などの名作を生んだ充実期を過ぎて、
詩人の叙情的清らかさが希薄となっていた、と思える。内面か
らの必然さが全く感じられないのだ。
萩原朔太郎、堀辰雄についての文章は「我愛する詩人の伝記」
にそのまま通じている。
室生犀星 1957年 大田区内で
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