人生で受けた恥や異端の人生が苦になったことは一度もない
確かに、この年齢になって来し方を振り返ると、その、い
たって短い時間の間に、人生の短さは特筆に値するが、その
全く短い間に受けた屈辱、恥は桁違いでまた育った家庭が、
また説明するが「たまご買い」乞食、という低ランク、低ラ
ンクでも人柄、人間性で両親がまともならいいが、これが、
まさしく天文学的な下品さ、育った環境は最悪で実母は次男
である私を生まれた途端に殺意にすら抱く憎しみをもち、と
云うと被害妄想の虚言のようだが、そうではないのである。
その最後の発露が実母の人生の最終段階で暴発した、・・・
実母は「次男憎悪妖怪」であり続けた。その結果、学校生活
を送るには親の細かい配慮が必須だが、殺意すら抱くくらい
だから配慮も何もあったものではない。そのため学校生活で
の屈辱は数しれず、その後も大学を出ても異端の人生、この
日本はサラリーマンであることがもっとも恵まれた!存在な
のだ。サラリーマンと云っても格差が大き過ぎるが、法制度、
的にはそうだ。夫に先立たれてもサラリーマンの妻なら公的
保証、年金があるが自営業差の妻など事実上保証はなく、せ
いぜい「寡婦年金」しかない、それが政治によって改善され
ることもない、というのがこの日本だ。
ともかく、あれこれ、短い時間だったが、その間の恥や
屈辱、通常のルートから外れた異端の道、だから金銭で恵ま
れる道理もない。逆である、・・・・・・だがそれが苦にな
った。苦に感じられたことはまったくないのである。異端の道
、といって一流大学を出ようが、社畜などを嫌って異端の人生
を歩む人は全然、珍しくはない。バカバカしいサラリーマン生
活に見切りをつけて、医学部再受験とか、新たに学んで起業す
る人も多い、決して特段に少数派でもないと思う。家内の大学
時代、親しい友人、女性だが、静岡県出身、娘さんが優秀で
京都大に、卒業し、JR東海に就職、だが入ったらJRはまさに
軍隊のような場所だった、もう疲れ果て、悩んで母親が「
それほどつらいなら、潔くやめなさい」と、で医学部を再
受験、医学の道を歩んでいるが長い道のりである。
とどのつまり、私は人生で何が起ころうと、あろうと別に
とりたててそれを苦と感じたことはほぼないのである。なにせ
家庭が「卵買い」という低階層だから、それが運命と思い、
全て受け入れたということはある。
でも、それだけでは人生ではない、求めるものが何か必要で
ある。私の場合は純文学で何らかの作品を書く、いたって純粋
な文学をいつか書きたい、という願いを抱き続けてきた。降り
かかる災難など別段、どうでもよかった。何とかして、純文学
の道を、苦に感じるとしたらその一点である、いまだ夢に近づ
けない、純文学での作品をまず仕上げる、その妄想だけを追っ
て、でもないが、人生の夢はそれに尽きる。金があるなし、外
面的なことなどどうでもいい、のである。人間はどういう状況
でも、なんとか生きては行ける、だが夢を追わなくなったら生
きる意味を失ってしまう。この考えは当たり前なルートに乗っ
て生きる生き方による恩恵を受けない、と同時に逆に得るもの
も多い。一度の人生、どちらの生き方をますべきか、だが私は
結局、恥にまみれた異端の道を歩んでしまった、でも少しも
この世で珍しいケースではないと思う。
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