高橋健二『ケストナーの生涯』ナチス政権下、踏みとどまったケストナーの平明な評伝

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 戦前からドイツでは「エミールと探偵たち」、「飛ぶ教室」
などで超人気の児童文学作家、戦後も「二人のロッテ」など、
西独のペンクラブ会長も歴任、まさにドイツの偉大な作家、
エーリッヒ・ケストナー、1899~1974。私は「飛ぶ教室」は
本当に教室が空を飛ぶお話かとずっと思っていた。「飛ぶ教室」
は1933年、既にナチス政権下で児童文学のみ執筆を許されてい
たようだが、それも束の間。その偉大なケストナーの評伝をあ
の高橋健二が書いている。高橋健二の戦争協力だが、戦後は不
問となっているようだ。ともかく該博な知識である。

 ケストナーはナチス政権下でもドイツに踏みとどまった作家
だったが別にナチス協力者だったわけではない。「飛ぶ教室」
1933の中にこのような文章がある。

 「賢さを伴わない勇気は不法です。勇気を伴わない賢さは、
実に下らないものです。世界史には、バカな人々が勇ましか
ったり、賢い人々が臆病だったり、そんな例はいくらでもあり
ます」、このような文章もあったくらいだから、ケストナーは
ナチスによって執筆全面禁止を申し渡され、自著が焚書される
光景をわざわざ見るため、出かけたり、だがそれでも亡命は拒
んだ。家庭の事情もあったようだ。また戦前からドイツ国内で
もあまりの人気作家でナチスですら命を奪うなど出来ないとの
確信もあったようだ。やはり自国民の逆境の時代、その一人と
してその苦難を体験すべきという信念もあったようだ。

 隠してナチス政権下、別段、ナチスへの協力なしで生き延び
るという稀有なケースとなった。ナチスは彼に執筆禁止を厳命、
いよいよナチス末期、一切の反抗的文化人は抹殺しようとした
のは事実だが、そこをケストナーはいかに生き延びたかである。
ケストナーの作品にも劣らない、意表を突く出来事の連続だっ
た。生き延びたのはある意味奇蹟的だったともいえる。

 ナチス末期、ゲッペルスが映画製作に熱中、「ほらふき男爵」
さらに「コルベルク」、その「ほらふき男爵」のシナリオをケス
トナーが偽名で執筆、海外からの著作権料の途絶を補ったとか。
ベルリン陥落時は映画のロケに参加と称して地方に逃れたとか、
それも親衛隊員でもあったあるプロデューサーのお蔭だった。

 Baron Münchhausen  ほらふき男爵

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 何とがナチスのブラックリストに乘りながらもしぶとく生き
のびたケストナー、戦後は世界中からのドイツへの轟々たる非
難の嵐に、必死の弁明役を引き受けたという。「何もドイツ人
全員がナチスに協力してはいない」と、

 日本の終戦ごとの比較も面白いと思うが、高橋健二の評伝だ
から、まったく淡々たるあっさりした内容で思想的な面などに
エグい追求は全く行っていない。ただまとまった内容とは言え
ると思う。やはり高橋健二もヘッセに対するほどの情熱は湧い
ていないようだ。

この記事へのコメント

牧子嘉丸
2023年08月23日 12:58
高橋健二は戦前はナチス礼賛者で、戦後は一転して平和主義者・民主主義者に変身したドイツ文学者ですね。淡々として思想面での追及がないのは自身の過去に及ぶからでしょう。ケストナーはナチスに協力せず、節を曲げなかった偉大な作家です。