シモーヌ・ヴェイユ『ヴェーユの哲学講義』ちくま文芸文庫、若き日のヴェイユがリセで行った講義

シモーヌ・ヴェーユ、Simone Weil,1909~1943,女性である。
wikiの文章だが「ヴェイユは第二次大戦中に英国アッシュフォ
ードでほぼ無名のまま、客死した。享年34歳。戦後知人に託さ
れていたノートを編集した『重力と恩寵』が出版され、ベスト
セラーになった。その後も残された膨大な原稿、手紙、ノーと
類が知人やヴェイユに影響を受けたカミュらによって出版され
た」で遺稿は政治思想、歴史論、神学思想、人生論、詩、戯曲
、日記など多岐にわたる、・・・・・・・
そのヴェイユは若き日、24,5歳ころフランスのリセ(日本の高
校にほぼ該当)で講義を行っている。それがアンヌ・レーノー
の編集による「哲学講義」である。現在は翻訳が『ヴェーユの
哲学講義』として「ちくま文芸文庫』として出版され、また電子
書籍、Kindleでも読める。翻訳は最初、人文書院から1981年に出
ている。
その後『抑圧と自由』、『神を待ち望むもの』の哲学者、反ファ
シズムの平和運動家と成長するヴェイユの若き日の思索がどのよう
なものであったか、は垣間見える。
ただ当時のフランスの指導要綱「教師は意見において自由である
と同じく、教育方法も自由である」とあるから、この「哲学講義」
の教科書扱いも難はあるともいえる。ただ授業の骨組みとなるのは
事実だ。
ヴェイユの『哲学講義』は「心理」、「精神」「社会」、「倫理」
と進んでいって、この講義内容は何か日本の「倫理社会」を彷彿と
させるが、実際、日本の倫理社会とは似た構成だと思う。だがそれ
は表向きだけで、どうも本質的に違うと思える。日本の「倫理社会」
が概括的な知識のみ与えると云うコンセプトに対し、そこはヴェイユ
で生徒に教えようとしているのは、あくまで物事を自主的に明晰に思
考する力としての「哲学」ということだろうか。
感情や知覚についての議論から出発し、社会的抑圧における国家の
役割を論じ、自殺はいかなる場合に認められるかという倫理の問題に
いたる講義は、当たり障りのない既成の知識の伝達ではなく、本質的
な自主的な思考という危険性さえ孕むだろう。
やはり若い女性!でこれだけ真摯に考えるというのは、さすがフラ
ンスの文化というものだろう。
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