地方では生涯、車を運転しないと生きるすべがない

警察庁の惹き起した実に計画的な認知症キャンペーンで、
あたかも「免許返納」が美徳のようにメディアも繰り返し、
喚くのであるが、現実、地方、ここでいう地方とは農村と
か田舎町ではなく、東京都心部などに住む人、また大阪市
内とか、日常生活の上で車社会ではないエリアを除く全て
のエリア、ということになる。数年前、西日本豪雨で大き
な被害が出たが、そこでも、車がいかに重要か、というこ
とを思い知らされたのだ。広島県の呉市地域も大きな被害
を出したが、最大の即座の問題は車の使用再開だった。
ことほどさように、車がなければ、しかも自主的に自分で
車を運転しないと誰も助けてくれない、地方の公共交通な
どあってないようなものだ、地方もタクシーは少ない、若
異人がタクシーの運転手になりたがらない、もう高齢の方
ばかりがタクシーの運転手である。子どもたちは就職など
で離れていくし、かりに最近は少ないが、同居でも自分で
運転しないと自主的な行動は全くできない。
車の運転は常に事故の危険だがこれな全年齢で変わらな
い、車無しでの生活はあり得ないのである。もし自分で
運転しないと云うなら、まったく他人依存の寄生虫のよう
な生活に堕してしまう、・・・・・・だが奇妙なことだが、
「高齢者から運転面免許を剥ぎ取れ、危険極まりない」
というキャンペーンがやはり行政主導の実質、マインドコン
トロール下でメディアの完全協力で、ここで警察庁の秘策
「アクセルとブレーキの踏み間違え=認知症」という、ま
さにマインドコントロールがなされ、世界に例のない「免
許更新の高齢者全員に精神病名を冠した検査」が強制が表
向き何の反対もなされず強制されているのである。もし何
か云えば「アクセルとブレーキはどうだ」という警察庁の
「伝家の宝刀」が飛び出してくるのである。
警察庁の思惑はどうであれ、この日本では車無くして
生活は成り立たず、生活面でも、また仕事で車が欠かせ
ないものが多い、若い人は少ない、誰も助けてはくれな
いのである。メディアでまともな論調を期待したが、ど
こも御用メディアの証明を自ら行っただけである。
完全車社会の地方では車を失うと、運転できなくなる
ことは死ね、と云うに等しい。そのための安全講習なら
いいが、優生的思惑にかられて、また利権にかられての
「認知症検査」に加え、些細な違反一つで即、実技検査
となるという。ただでさえ高齢者講習の予約が取れない
のに、混乱に拍車をかけるばかりである。東京都心など
に住んでいる人たちばかりではないのである。無論、運
転には重大な責任が伴う、それは当然であるが、高齢者
だけにそれが限定のような論調は奇怪である。
だからいかに健康を保ち、生涯、車を運転できるような
自己管理が必要となる、もし出来なくなると条件に恵まれ
た人以外は、大げさに言えば首をつる羽目になりかねない。
事故ったり、単純内反でも繰り返せば実は簡単に免許が
取り消しになる。だから「免取り講習よりはいい」くらい
に思い、かりに違反で技能検査でもしぶとく予約を取り、
突破しなければならない。だが現在から今後、車の操作方
法が非常に多様になる状況で、いきなり技能検査は無理な
面があると思う。だが理不尽でも突破しないと自らの生存
権を守れないのである。
地方では車がある意味、生活を支える全てと言って過言で
はない。誰も助けてはくれないのだ、こんな世界の例のない
負担を課す国でも生きていかねばならないのだから。
この記事へのコメント
矢掛町で個人商店がゼロの地区は数カ所あり、80歳を前にして便利な場所のアパートを探す人もいます。
切実です。