竹西寛子『月次抄』1978,王朝和歌にまつわる生活的随想、スタンスが特異か
・・・・・さて、竹西寛子さんか、1929年生まれというか
ら昭和4年である。今年、94歳、もうそんな御年齢かと思う。
私が最初に竹西さんの文章に接したのは昔、河出書房からの
コンパクトサイズの日本文学全集、緑色の装丁、「芥川龍之
介」の解説、なんだかちょっと、プロの批評家にしてはどこ
か、さばけていない、ちょっと真面目過ぎる、と感じたもの
だ。真摯、誠実さは疑いない。以前の広島県立広島女子大の
前身だろうか、ご卒業で早稲田大学。大阪女子大は河野多恵子、
富岡多恵子と云うW「多恵子」輩出だし、京都女子大は山崎
豊子、東京女子大は瀬戸内寂聴さん、・・・つうまらないこと
を書くようだが、竹西寛子さんも「女子大」文学者の系譜にあ
る方だ。
この本は王朝和歌、また王朝物語と現代の日本人の生活の接
点にそのコンセプトを置き、五十もの短章の随想を綴ったもの
だ。やはり私が最初に竹西さんの文章に接した感じと変わらな
いのだ。一種の歳時記風で、新聞に連載されたとは云うがその
新聞連載という埃っぽさは微塵もなく、妙に超然としていて、
何か取り澄ましているのでは、と最初、印象を受けるが、実は
決してそうではなく、基本はさりげない、歳時記風といいなが
ら、実用性をやんわりと拒んでいるような風情があり、人間、
社会への距離の起き方がえも云われず面白い。それはつまると
ころ、現代から隔たっている分、王朝時代に近く、女性らしく
ひっそりと、詩情がしんみりと深まっていくのだ。
「山は雪」という随想
「古今和歌集」では吉野の雪を詠んだ歌が少なくない
壬生忠岑、みぶただみね、著名な歌
み吉野に山の白雪ふみ分けて入りにし人のおとづれもせぬ
朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里に降れる白雪
と引用し、嵩西さんはこう云う
「冬の吉野など訪ねたことはない。それなのに、雪深い吉野を
あたかもよく知っているように我々が思うのは、この歌のお蔭で
あろう。宇治川の川霧にしても、小倉山の紅葉にしても、この目
で見る前に見てしまったものが少なくない」
古典文学と現代人との関わりの最も重要な部分を、いとも、あ
っさりと、しかも正しく述べていると思う。こんな具合で桜の花
の満開も、しぐれも、初恋も、日常生活から学ぶより、古典文学
から学ぶことは多く、その伝統の中心が王朝の和歌である。つまり
日本人の感性の基礎をなしている、それは万葉から古今、新古今な
その多くの歌人らの作品に依存しているということだろう。
壬生忠岑の「夏はつる扇と秋の白露といづれかまづはおかむと
すらむ」をひいて王朝貴族のいろんな扇の使い方を記す、扇で顔
を隠す姫、笏代わり使う貴族の男、逢瀬のしるしに扇を取り交わ
す」から結びが「相変わらず、残暑をかこつ日が続く、何に弱い
私は、扇を置くどころか、今日もまたハンドバッグにしのばせて
の外出である」
いかにも女性らしく、本当に真面目な姿勢、的確な記述、なか
なか可憐な随想だと思う。
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