『太陽の影』アルジェのフランス人応召兵士の手記、戦後、ナチス並の残虐性を発揮したフランス人、「天井桟敷」の国民のやることか!

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 戦時下の対独レジスタンスのフランス人の戦い、その時代、
戦争の何の匂いすらない映画『天井桟敷の人々』を作り上げ
たフランス人、だがやはりフランス人は植民地帝国の国民だ
ったと痛烈に実感させる植民地アルジェに出征したフランス
人の位置兵士の手記である。恐るべき悪辣さと残虐性である。

 1956年にアルジェリアにいたあるフランス人の司祭は、「
憎悪を身にしみて感じるの、いかに怖ろしいことか。私はア
ラブとフランス人との憎悪の応酬の真っ只中に暮らしている。
1943、44年の対独レジスタンス運動、そこにおけるフランス
人の立場がアルジェリア人である。年中警戒を緩めず、奇襲
や闇からの銃撃を恐れ、住民を見たら即座に抵抗組織への協
力者と見なしたドイツ兵、それが現在のフランス兵だ」と
手紙に記している。

 アルジェリアにおけるアラブ民族の反乱は、単なる反乱
ではなく外国の植民地支配に抵抗する民族運動であり、
フランス政府は植民地大国という幻想にしがみつき、弾圧
、武力鎮圧しか考えず、抜き差しならない深みにハマり、つ
いにドゴール政権が誕生したわけである。

 フランス人の武力弾圧において、アルジェリア人への拷問、
虐殺は日常茶飯事であった。さらに反植民地的なアルジェ在
住のフランス人まで拷問を受けた。それはアンリ・アレッグ
の『尋問』という体験記に結実した。この本は世界を驚愕さ
せた。この『太陽の影』は現地で召集されたフランス人の兵
士の手記を集め、ひたかくしにされていた残虐行為、拷問の
事実を明らかにしている。週刊誌「キリスト者の証言」に
発表の『ジャン・ミレールの記録』を第一部とし、フランソ
ワ・モーリャックなど70名以上が署名して発行された「フラ
ンス応召兵の証言』を第二部とする。

 アルジェのアラブ人への見境いない拷問、虐待を行った
のは司法警察、空挺部隊を中心とするフランス人であるが、
そのやり口はナチスのドイツ兵、ゲシュタポと同じであり、
多くの現地応召のフランス兵にも反対が多かった。だが戦争
は兵士の人間性を異常な人格とするのはここでも変わりなか
った。その残虐行為を阻止する者はいなかった。

 一人の士官はこう述べている。

 「兵士は相対的に云うならほぼ一人残らず精神状態は壊滅
している。反省など全くしないし、鼻をつまみたくなるよう
な悪辣な宣伝を鵜呑みにしている。その単純さは驚くばかり
だ」
 
 拷問、虐待の方法は『尋問』に述べられているとおりであり
、電流責め、水責め、逆さに吊るしてナイフで刺す、ムチで叩
く、殴打は常套手段、釈放と見せかけ、帰るところを背後から
射殺する。それらが当然のように行われる。あの「パリ祭」、
「ミラボー橋」、の芳しい魅力を誇る高い文化のフランス人が
やることがこれである。第二次大戦では対独レジスタンスで正
義派を気取っていたが終われば、やることはこれだ。一人でも
フランス運兵士が殺されると報復として、何十倍もの虐殺を行
う。それを当然視するフランス人たち、ウソの報告書は毎度の
ことだ。戦慄の残虐さである。

 戦争では起こりがち、で済まされることではないだろう。

 ある応召兵「二十万人でも兵力増強を行えば全アルジェリア人
が暴民となるだけだ」

 「今の自分の立場では正義と自由の戦いの反対にいると痛感す
る」

 第二次大戦後だ、フランス人も分からぬはずはない、とはな
らなかったのでらう。フランス人の自由の精神も、恐るべき民族
差別意識に依拠の優越感の産物でしかなかった、日本人も知るべ
きである。

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