高齢期の入り口がこんなに楽しいとは、驚き!


 つくづく感じるのは人の生涯の短さだ、通常、人間が亡く
なるのは70歳から99歳の範囲内と見ていい、90歳以上は長寿。
日本人男性なら80歳までに50%強は亡くなるという。こうい
う計算は、それこそ生保が徹底的にやっているだろう。その
厳密な統計で生保は保険料を決定しているから、契約したら
即、すべて営業利益である。でも一年の驚くほどの短さを思
うと人間は、いかに超健康な人間でも寿命は二桁の年数でし
かない、二桁の年数などというものは本当に短い、私の祖母
は99歳で亡くなったが、最晩年「人生は本当に一瞬だった」
と歎息した。若けりゃ、それでも何十年かは残っているから
健康なら人生は未来永劫続きそうな錯覚に陥るが、実際は唖
然の短さでしかない。初戦は二桁の年数が過ぎるなど、まさ
に瞬時かもしれない。でも若いとやたら人生は永く感じられ
る。実際、二十歳までの時間はやたら永く感じる、がそれを
過ぎたら一気呵成である。

 そこで日本は超高齢化社会、残る時間が少ない人間の数が
やたら多くなる。若い頃は死ぬのが怖いものだ、私などは15歳
で重篤な病、それを引きずって気分は常に死と隣り合わせ、そ
れこそ必死で健康法を求めた、・・・・・・

 加齢を続けるとすぐに高齢者になる、指折り数えても本当に
わずかの年数だ。で、そうなったら、時期が不定というだけで
人の寿命は70歳から99歳の間、と思えばいい。すべての人間は
ここに帰着するのだから、・・・・・まあ、人生いろいろに尽
きるにしても、与えられた時間は著しく短い。

 で?それがどうした、だが、私などは今日を生きるのみ、と
いう明日をもしれぬ病を持つ、だがその御蔭で節制は、健康法
はわりと学んだことが多い、なら限界の長さで最高、あと10年
は生きる可能性はないとはいえない、最高10年だ、数年が妥当
だろう、・・・・・で寂しい?とは思わない。思えないのであ
る。10年前なんて考えたら昨日みたいなものだ、だから10年先、
限界の寿命を考えても10年だから、・・・・・

 考えたらいい、人生の労苦は筆舌に尽くせるものではない、ま
さに苦しみの連続、その重圧は、苦しみは1万メートルの深海にも
匹敵するだろう。・・・・・・その人生の重圧、苦しみ、労苦か
ら完全に解放されるのがわずか10年以内というなら、飛び上がっ
手喜びたいくらいだ。それなら心置きなく幾ばくかの預貯金も使
えるし、先々の心配をしなくていい、散々な経験の特異的な環境
に生まれ育ったのは私の極度の、災難である。その労苦の思いは
魂に染み込んでいる、・・・・ともあれ労苦から永久に解放され
る日が遠くない、人間の寿命という運命がすべての人間を短い
時間で労苦から開放してくれるのである。若い頃と壮年時代は妙
に歯が怖いものだ、たしかに70歳は最低、生きるのが責務だろう、
だかたかか70歳といってそれさえ何ら保証されてはいない。日本
人男性なら20%でなくとも18%程度は70歳までに命を落としてい
るのである。だから70歳までもし、生きたら十分でなくてもまず
は人生の責務と云うべき長さはクリアーした、あとはせいぜ10年
、耐えたら労苦から解放される、こんな楽しい時間はないと感じ
るようになった。

 あまりの極度の不幸、災難、その心労、苦しみはすさまじかっ
た。でもここまで生きたら、あとは残り時間はさほど永くはな
い、あの労苦からあとわずかで解放される、なんて正直、夢のよ
うだ。ダカあ私は最近、風景をなにかと、ふとまじまじと見る。
一度限りの人生、まったくの得難い体験、というと滑稽だが、事
実である。一度限りの限られた人生、それも二桁の年数、すべて
の人間は、100歳以上は単なる誤差レベルでまた無意味である、
・・・・寿命という点で人間は本当に平等と思えばいい。みな、
短いのである。短いとは労苦に苛まれる時間も短いという、こと
でしかない。永久の眠りは万々歳である、だからこそ、肩肘張ら
ず、愉しく生きられるわけである。

 人生の労苦からの海保ほど胸が沸き立つものはない、だからと
云って早く死ねばいいではない。健康に留意し、生きられる限り
は生きる、もはや若い時代の尚早とも無縁である。だからこそ、
人生はこれから、ということでらある。

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