根本順吉『地球はふるえる』1980,筑摩書房、地球寒冷化気候変動の原因と異常現象を述べる(1950年代末~1980年代末)
今は二酸化炭素一元論により地球温暖化論が仮説でしかない
のに、世界を支配しているかのうようだ、今年の酷暑はまさに
温暖化気候変動論勢力(国際機関、各国政府、政治家と官僚、
環境団体、既成メディアなど)は怒涛の攻勢をしかけてきた。
メディアが完全協力のスタンスだから、すべてを二酸化炭素が
原因の地球温暖化「気候変動論」に結び付けられ、大衆のマイ
ンドコントロールもほぼ完璧なようだ。無論反駁も多く、その
趣旨の書籍も多いがこれらは完全に無視されている。
正直、二酸化炭素増加!を絶対的な唯一の原因とする地球
温暖化論はどこまでも仮説、しかも可能性の低い仮説だいう
しかないが、ノーベル賞委員会は政治的チョイスを繰り返し、
仮説の絶対的権威付けに余念がない、・・・・・なぜ?と怪訝
に思えるのだが、政治家、官僚は確かに野望を秘めている。国
内では環境省、経産省、国土庁など省庁の権限拡大という真の
目的を秘めている、・・・・・・だが、
1950年代後半から1980年代末まではひとえに寒冷化への恐怖
が圧倒的に支配的だった。そもそも温暖化が危機を生むなど、と
いう考え自体がほぼあり得なかった。暑苦しいのは、夏が暑いの
はたしかに大変でもそれは当然であり、寒冷化即、人間活動への
深刻な障害となることは明らかだったからである。だが現在は
すべてが倒錯している。気温の変動はすべて二酸化炭素が原因と
云うならこの長期の時期、の気温低下は二酸化炭素が減少したか
ら以外にはないが、そんなことがあり得る道理はないだろう。
さて、以前は「温暖化気候変動」などというものが念頭に思い
浮かぶこともなかった。植物は暖かければ生育に有利、なにより
寒いより健康にはいいわけで云うも愚かであった、・・・・・。
根本順吉さんは『氷河期が来る』という本もこの時期に出され
ているが、『
1980年の夏は記録的な冷夏だった。「夏らしい日がなくなった
、たしかに気象は狂っている、いたいどうなっている」という不
安が人々を襲った、冷夏のみならず、非常な厳冬が続いていたの
だ。・・・・・その頃の不安に答えたのがこの本である。
根本さんの書き方は定説をわかりやすくではなく、気象の専門家
として読者とともに異常な気象の変動(寒冷化)を考えていく、と
いうことである。
10万年に一度の低圧が1963年に日本に現れたため、北極やアフリ
カのヴィクトリア湖に向かった、北極では太陽が四角に見えた、地
表付近ではダストが層状に溜まっているためだった。ヴィクトリア
湖は異常に水位が高かった。雨が多いためである。
気象データから見ると20世紀前半の日本は、過去に二千年でかっ
てない恵まれた暖かさにあったが、それもついに終演を迎え、寒冷
化に向かっている、というのだ。北極の周りの西風が北に偏って流
れる温暖期から、南下する低温期ということである。この転換期に
気象は乱れ、北極を中心とする寒い区域がヒトデ状に広がり、その
間に高温な地域が生じ、異常気象を生じさせるという。
気温の場合、まず基本は太陽活動である。その活動の周期は80年
と180年という二種類がグリーンランドの氷床から知ることが出来る。
厚い氷の層を削ってその酸素の同位体、16と18の比率で、過去の気
温変化を知り、気温の周期的変化が地球規模で生じていることが分か
るという。
気候の変動がミノア、ミケーネ文明をほろぼしたが、江戸時代、
その気候の変動は、江戸が埃もうもうの土地柄だったため、「風が
吹けば桶屋がもうかる」との諺が生まれた。海岸が深く入り込んで
いるために、上野の広小路も下谷の黒門町も夕涼みの場所だったと
いう。
経済活の活発化により、その排出物質で太陽光の遮断効果が強まり
、気温の低下の原因となる。二酸化炭素は温室効果があって気温を
上げる効果もあるが、この二つは常にバランスしているが、遮断
効果が強くなりがちで気温低下の圧力が強くなる。
この本は寒冷化気候変動を述べているが1963年2月の北陸を中心
とするサンパチ豪雪の氷河期化、同年の西日本の初夏から真夏ま
での超長雨、寒冷化の恐怖に襲われた時代であった。そんな前の話
ではなくそれは1980年代末まで続いたのである。
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