黒岩重吾『西成海道ホテル』1974,著者、西成物の「やりくりアパート」、連作長編、哀しむべき人間模様


 西成、釜ヶ崎物を書かせたらどう考えても史上トップという
べきだろう。1960年の「背徳のメス」で直木賞、翌年、「飛田
ホテル」、黒岩重吾の前半生は波乱万丈であり、同志社大学在
学中に応召、北満に遣られ、終戦で満州をさまよい、朝鮮に何
とか辿り着き、帰国、これは奇蹟的だ。1947年に大学卒業、証
券会社に就職、その中で文学の道に、丹羽文雄主宰の「文学者」
の同人ともなった。1953年、腐った牛肉を食べる悪食を試み、
小児麻痺に感染、長期の入院闘病となる。入院中にスターリンが
死んでのスターリンショック、株が暴落し、多額の負債を背負い、
無一文となる。退院後は釜ヶ崎に接する東田町に居住、この生活
体験が多くの西成物の名作を生んだ。・・・・・・これが黒岩重
吾作品の手がかりとなる最低限の知識である。だがそれを生かし
たのは備わっていた文学的才能である。

 「私は昭和三十二年頃、大阪西成の飛田界隈〔釜ヶ崎に接して
いる〕に住んでいたことがある」というのはこの本『西成海道ホ
テル』の第一話「虹の故郷」の書き出しである。数奇な人生の流
れでこの町に住むようになった著者、黒岩重吾がそこに生きる人
々の生活、その哀感を凝視し、その町並み、風物をも作品に見事
に再現し、描いている。西成を描く点で黒岩重吾に匹敵する作家
はいないだろう。Kindleでも安く購読できる。

 この作品はそうした西成海道町、今は町名は変更でこの名前は
存在しないが、・・・の路地裏というのか路地の奥にある春日荘
というアパートの住人たち、その管理人の演じる人生のギリギリ
の生活の醸し出す、悲しみ、哀感を全五話で描いた佳作だと思う。
連作長編である。黒岩重吾のペンも円熟の境地、といっていいの
かどうか、50歳の作品である。黒岩重吾の人間を見抜く目が冴え
わたっているようだ。それぞれの篇が全て起承転結もほぼ完璧で、
構成に緩みがない、いかにも小説を読んだ、という充実した読後
感が得られるのではないか。

 それは大阪の風俗小説、まして西成、飛田あたりという面白さ
だが、単にそれに終わらないのである。登場人物がまさに精彩を
放っている。

 第一話「虹の故郷」は新宿のクラブから大金をかっぱらって大
阪に出てきた美加江という女が春日荘に逃げ込んでひっそり暮ら
すお話である。連作だから続きものである。「残務の花床」は、
美加江の隣室に住む手相を見る占い師、柳田夫婦の物語、第三話
「闇に残った茜雲」は旅館近くのお好み焼き屋の娘、美々子を中
心としてのエピソード、第四話「果てしない階段」は春日荘の管
理人が描かれ、第五話「木枯らしの嗤い」は元釘師でパチプロの
大出という男、その内縁の妻でお好み焼き屋で働いている朝子、
その哀切に満ちた生活を描いている、

 全てにおいて本当に西成の雰囲気を見事に再現している。この
時点では黒岩重吾は遠の昔に上京して東京の人、だったと思うが、
「春日荘」もそれは創作だと思えるが、「やりくりアパート」的
なあの当時の西成に限らない、大阪のアパートの生活の体臭をよ
く、というより見事に伝えているのではないか、あの頃、昭和33
年、1958年に東淀川駅あたりに住んでいた私はあの雰囲気が懐か
しくもある、もちろん東淀川と飛田では大違いだろうが。

 1972年、昭和47年8月?頃、銀座で開かれた今東光主宰「野良犬
の会」飲み会、そこの黒岩重吾、「西成海道ホテル」執筆直前

 
三十代にしか見えないと童顔が話題になった黒岩重吾

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