吉本隆明『戦後詩論』1978,エッセイ風で意外と面白く読める

吉本隆明等というと名前を聞いただけで何か、敬遠したく
なる小うるさく難解なイメージがあるが、この本はそういう
先入観からすると、いささか拍子抜けかもしれない。
現代詩、その詩人たちを餌にして文章を綴っている。意表
をつかれる、かもしれない面白さだ。確かに詩人だから実に
繊細な感性、感受性をもって屈託なくのびのびと述べられて
いると思う。あまり吉本隆明の本は読んだこともないが、通
常!の難解な岩石の道を歩くようなゴツゴツ感がない。思い
つきで書かれたものではなさそうで、日常の思いを素直に浮
上させている。
タイトルが『戦後史論』、実はこれは深い意味を持つ。限り
なく複雑化し、多様化して収拾がつかない現代詩の流れを、一
つの精神から眺望しようという試みだから容易ならざるのは当
然だが、それを勇気を持って実行している。
三部に分かれていて第一部「戦後詩論」は問題点を要約した
序文的な章であり、全体を概観するという、総論、歴史的詩論、
通史だろう。戦前の「現代詩」の実態から戦争と戦後詩を経て
、飯田耕一らがまだ新鋭の詩人だった頃の「戦後詩」が述べら
れる。一つの視点の確定だろう。
戦前の「現代詩」の実態を、モダニズムの詩人でもなく、プロ
レタリアの詩人でもなく、岡崎清一浪らの「無職インテリの群れ」
としての詩人たちから、探求していく。社会から疎外される存在
の詩人たち、彼らの詩は「社会への不定の認識を、不定の意識と
して定着させたもの」であるという。ある時代、日本社会の特有
の産物だった、これらの詩と現実社会の相剋、詩人と大衆の生活
意識、という座標軸というのかどうか、モダニズム派や四季派の詩
詩人たちの現実の社会の構造をよく見据えているとは思う。
「不定の意識」の行方を問うことで、戦争と敗戦、戦後の現実の
動向が、いかめしい政治論とは異なり、新たな側面が明らかにされ
るのかもしれない。
第二部は「戦後詩の体験」吉本に最も近い場所だが、戦前的な
詩人の生活意識が無力化され、新しい生存の核として出発した詩人
たちの精神の運動の展開というべき内容、エッセイ的で自己主張が
曖昧である。
第三部は「修辞的な現在」まさに現代詩の状況を述べる鋭い指摘
が縦横無尽に述べられる。
説明すると、やはり、いかめしくもあるが、あえて駄文にすぎない
、と肩の力を抜いて読んでいけば得るものも小さくはないだろう。
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