トラックにEVは不可能は明白、「だったら水素」は解答になるのか?なぜここまで非現実的になれるのか?

今年の夏の酷暑は地球温暖化派には、あまりに絶好の夏だっ
たようだ。全世界的に「暑さ恐怖」のマインドコントロール、
まあ特に日本のテレビだと思うが、結果として実に多くの人
がまんまとマインドコントロールされている。相当年配の人で
さえ、「昔の夏は精々、30度を超えるくらいだったが今は違う
」唖然だが、1985年すぎまでは寒冷化が危惧され、氷河期到来
不安の本が続々刊行されていたのに、今や攻守所を変え、であ
る。二酸化炭素一元論なら1960年ころから1985年くらいまでの
「寒冷化」はひとえに「二酸化炭素濃度」が減少したこと以外
に原因はないわけである。そんな事実があろうはずはない。
ともかく現状は病膏肓に入れりである、何を云っても聞く耳な
どない、「世界を支配する何者か」である。それを論じたらまた
際限がないから、現実の問題、まともに誰も答えない問題を考え
た、別に初めてじゃないが。。
重量物を運搬が責務のトラックにEB,つまり純粋なEV,BEVが絶
対に不可能であること、つまり重量物を運ぶトラック、しかも
長距離トラックに限らず一度走り出せばトラックは長い距離を走
る、ともかく航続距離を考えると10トントラックは10トンレベル
のバッテリーを搭載しなければならない。これでは荷物を運ぶよ
り,バッテリーを運ぶことにしかならずナンセンスの極みである
し、それほどリチウム資源が確保されるはずもない。
ただしこれは別にトラックに限った話でもなく乗用車でも同じ
ことだ。ガソリン50Lで航続距離500kmの乗用車、ガソリン50Lな
ら重量は38kgくらいだろう。だが航続距離500kmをEVで確保しよ
うとするとバッテリー重量は350kg前後になる。無論、車の重量
などにも影響を受けるが、ガソリンの38kgに対し、バッテリー
350kgとしたら、10倍近い重量となる。これがトラックにEVが無
理の直接的な理由だ。
誰が何と言おうと、トラックはEV化は不可能である
ならどうする?エンジンを禁止、というなら、
即座に水素、挙句の果てに日経などが絶叫する「水素社会」である。
端的に言うと、この社会でエネルギー源として使うと考えると、
水素ほど多くの点で不都合なものはない。
「水素推進」の理由はただひとつ「水素は燃焼したら水ができる
だけ、CO2をは発生しない」という、その一点である。
つまり仮説でしかない二酸化炭素の一元的な原因の地球温暖化
論を絶対的な金科玉条とする、全てその結果の主張である。
だが、水素ほど難しい、厄介な代物はない。水素単体では存在
しない。他の元素との化合力が異常に強い。水素をその化合物か
ら分離するためには莫大なエネルギーを要する。
水素社会論者は「水素はこの世に無尽蔵にある、無尽蔵にある
水素を燃やしてもCO2を出さない、だから素晴らしい」というこ
とで日経などのような論調となるのだが、これがいかに非現実的
なことかである。すべて常識的なことだ。
だが天然ガスにせよ、石炭からにせよ、水の電気分解にせよ、
そのエネルギーを考えればやはりCO2は出るし、その必要とする
エネリギーも莫大である。
なら再生可能エネルギーで水素を得る、太陽光発電で水を電気
分解すれば万事メデタシ、という考えがある。こうでないと意味
がない!日本の平均的な気候の下で太陽光発電システムで水を
電気分解となると、・・・・・住宅用発電システムなら一ヶ月稼
動させてやっとトヨタのFCV一台の水素タンクの容量を満たすに
過ぎない。
水素ステーションを実用のレベルにするなら、それを太陽光発
電で行おうと云うならとてつもなく巨大な設備が必要となる。10
メガワット以上である、
バイオガスから水素?東京都民1300万人以上のし尿からメタン
を取り、水蒸気改質すれば理屈の上では一日7万立法メートルの水
素が得られる計算になるがトヨタFCVの水素タンクを満タンは1000
台げ事実上限度だろう。
とにかく化合物から純粋水素の分離は恐ろしくエネルギーが必要
となり、そのエネルギーに比べ、得られる水素の量はお世辞にも多
量ではない。その運搬、保存、実用化はとんでもないコストがかか
る。
得られた水素が純粋である保証もなく、それを完全に純粋化し
なければならい、とにかく水素の扱いは困難であり、たちまち大気
中に拡散ししまう。すぐ拡散し、逃げ出してしまう水素の運搬は液
化が必要だが、超低温にしなければならず、これも莫大なエネルギ
ーが必要となる液体水素はエネルギー密度は非常に低い、同じ体積
ならLNGの半分以下である。その運搬と云うなら船の搭載量をニ倍
にするか船の数をニ倍にしないと間に合わない。
実際のFCVに水素を充填は充填機を通じて行わねばならない。
水素は高温化しやすいため、冷却を続けなければならず、冷却のエ
ネルギーも莫大だ。1950年代末、石油連盟の雑誌広告にすでに、
水素燃料電池車が提示されていた。戦後、石油が得られない日本、
エンジンも技術的問題が多く、水力発電でも得られる電気、単純
なモーター駆動で電気自動車を木炭車!と並び、国民車にとの考
えがあった。今は日産に併合されたプリンス自動車は戦後、しば
らくは電気自動車専業だった。水素燃料電池車も電気自動車も、
いかなる意味でも新しいものではない、美点もある、だが、全く
実用化、普及しなかった。なぜ?実用普遍化に致命的な不都合が
あるからだ。基本的な事情に変わりはない。
2000年頃か、武蔵工業大学などが熱心に水素を燃料のエンジン
の実用化、つまりディーゼルエンジンを水素で動かそう、という
研究であり、実際に武蔵工業大学は市販トラックを改造し、水素
によるディーゼルで走らせることに成功している。「原発で水を
電気分解」というのだが、そもそもトータルのコストがあまりに
非現実的でそのプロジェクトは放棄された。
それにしても、
街に水素ステーションがないとFCV,更にはトラックも動けない。
その設置、維持の費用が膨大である。およそバカバカしいくらい
のコストと手間である。
かりにあり得ないが、乗用車はEV化し、EV化が不可能なトラック
がFCV化すれば、そのトータルでの経費は天文学的となろう。エネル
ギー自体としての水素は爆発性はあるが、エネルギー密度は低い、
ためしにエンジンを水素で走れるように改造し、水素で走らせた実験
は多いが、ガソリンに比べ、アンダーパワーは明らかであった。
さらに原発を水素製造と結びつける動きも妄想を超えるものでは
ないだろう。
要は水素社会はありえず、トラックをFCV化して実用化など痴人
の妄想でしかないことは明らかだろう。水素を得るためのエネルギー、
保管運搬、またステーションのためのエネルギーは水素自体の出す
エネルギーの10倍は超えるとの推定値もある。
いったいどうするつもりなのか、大気汚染改善にはディーゼルの
廃止が望まれる。現実的はLPGハイブリッド化だが、『水素」のた
めに一歩も進まない。全ては無為に終わることは明らかである。廃
止されるべきはエンジン全般でなく、軽油ディーゼルエンジンであ
る。いたずらに現実不可能な幻想ばかりが意図的に撒き散らされて
いる。
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