吉行淳之介『赤い歳月』1967,確かに手慣れた上手さは際立つが、精神の衰弱を感じさせる

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 この短編『赤い歳月』を表題作とする吉行淳之介の短編集
が1962年4月に講談社から刊行されている。この表題作は他
で読むには吉行淳之介全集と最初のこの単行本、はて文庫に
組み入れられているのだろうか。

 ともかく当時の吉行淳之介の近作を集めた短編集、十作が
収録されている。表題作にどうしても目が行くが、実際、こ
の中では『赤い歳月』が一番いい気がする。なかなか手の込
んだ力作だ、「私」という男が主人公であり、あとは女性で
これがA子、B子、C子、Dというようにアルファベットの一
文字である。

 「私はA子と別居して、B子と暮らしている」が冒頭で、「
またか」と思わせるが、作者は単な私生活の作品利用と思わ
れるのは警戒しているような気もする。このただれたような
関係は5年続いていた。別居以前からだと8年になる。「私」
とAこの間には9歳になるU子という子供がいる。「私」はB
子の出産を許さない。・・・・・・というのがこの作品の、
三角関係だが、あまりにありふれている。

 基本は私小説なのだが、この三角関係を作者は別段、少し
も修羅場と捉えていないようだ。靴とか子猫とか、小道具を
配置し、「私」とBこの会話を中心に軽妙に描く。歳月のも
たらす微妙な変化を浮かび上がらせようとする。

 何気ない日常から人生の深淵を覗く、というのかどうか
B子の出産を許すというところで終わっている。でも小説上
手な人だと思う。

 でも歳月に意味を持たせている作品だと思うが、問題の単
なる先送りのようで、それを作者の吉行さんは別段、苦にも
感じないのか、どうか、ここらら非凡というのかどうか。も
う常識不感症になているのかどうか、微妙な人間関係を巧み
にポイントを押さえて描くのはさすがだが、どうにも活気に
欠けているというのか、精神が衰弱しているのでは?とも思
わせる。作り上げているが本当に描くべき対像であったのか、
これを純文学というななら純文学の危機だろうか。

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