木山捷平『大陸の細道』1967,滑稽小説と紙一重のレベルではないのか?


 正直、あまり取り上げたくない作家、その作品である。今
か岡山県の笠岡市山口だが、当時は小田郡新山村、その生ま
れの木山捷平、県立矢掛中学に徒歩で往復、していたという
が徒歩では極端に遠い。よく通った、と思う。昔は歩きの時
代にせよ、岡山県の戦前の県立中学、旧制だが本当に少なく
岡山一中(朝日高校)、津山中学(津山高校)、岡山二中
(操山高校)、高梁中学(高梁高校)、それと矢掛中学(矢
掛高校)、以上だけ、現在の拡大した倉敷市域にもなかった。
倉敷市の旧制中学は私立の天城中学(天城高校)のみ、戦後
、県立に移管された。それと私立で今の金光学園の金光中学
である。横溝正史一家は昭和20年、1945年に疎開でいまの(
倉敷市)真備町岡田村字桜の空いていた家に入居したが長男の
亮一さん、東京府立十中(都立西高校)から転入しなければい
けなかった、当初は岡山一中、あるいは二中を希望したが学区
が異なる、倉敷市にもないから矢掛中学(矢掛高校)に転入、
自転車で遠距離通学された、・・・・・ともかく旧制矢掛中学
で文学ゆかりの人物云えば、木山捷平、横溝正史の息子の亮一
さん、一年間、教頭でいた平田春郊、延岡中学で若山牧水と同
期で在職中、若山牧水の矢掛訪問があった、・・・・・あ、私
は矢掛高校の卒業である。

 と序文めいて書いて「大陸の細道」だが、戦前、木山捷平は
二度だったか、芥川賞候補になっている。その力量はどうだっ
たのか、だ。だが基本、無名であり、最初は妙なタイトルの
詩集を出したりしてた。笠岡市の木山捷平記念館?も「差別用
語」の詩集タイトルは表示されていない。

 この『大陸の細道』で「文部大臣賞」かを授かり、やや名前
を知られる存在とはなった。それまで地元でも木山捷平が小説
を書いているなど、信じられていなかった。長男の嫁探しで
笠岡市山口のある旅館の娘さんを、と望んだが「捷平さんが作
家なんてウソだろう」と断られたという逸話もある。どうにも
理解し難いのは、長男は当時、慶応大学を出て大企業に就職し
ていたはずだが、釣書きには「一橋大学受験のため浪人中」ま
ことに信じがたいが、その旅館、まつや、といったが、その女
将が言った言葉だ。どうも奇妙なコンプレックスに付き纏われ
ていたのか?その後、文部大臣賞を授かり、「あの縁談、受け
ておけば」と多少、悔やんだそうだ。全て実話だが、ある断面
を表してはいる。

 作品だが、満州の某農地公社の広報嘱託で、木川正介が新京
、現在の吉林省長春にやってきた。時期は1944年暮れであった。
彼は左手にトランク、右手にボストンバッグ、方には一升瓶入
のズックのカバンをかけていた。
 
 正介は全く無名な作家であり、時節がら、書く機会も発表場所
もなく、さりとて仲間のように、願い出て報道班員に採用しても
らう気にもなれなかった。そこで知人の奨めで満州にやてきた。
この作品は「海の海道」、「雪の原」、「白兎」、「花枕」の四
章からなり、満州に着いてからの正介の見て接した細々としたこ
日常のことを、いたって飾り気がない単純な文章で綴っている。
新京の宿や公社の寮で、寒さに震え、神経痛に悩みながら、昼は
何もなさず過ごし、夜は酒を求めてほっつき歩くという生活であ
る。作者の木山捷平はとにかくアル中的で酒癖が悪く、酔って妻
に暴力をよく振るっていた、とは終戦後、新山村に戻っての行状
でよく知られている。無論、限られているが。

 公社の勤務には何も書いていない。何もやってなかったのかも
しれない。時代は戦況は末期的だが、ソ連軍の進行以前は別段、
あいも変わらずのんびりした新京だったようだ。単調な日常生活、
愚かしい軍のあり方、行動は的確に述べている。

 したがって、この作品の特徴は、正介のスタンスと密接につなが
っている。無論、反時代的だが、別に悲憤慷慨するのでもなく、反
抗するでもない。正面きった姿勢は見せない。どこまでも消極的で
ぐうたら生活で酒に溺れる。だが、ダメなようで、どこかシンもあ
リそうな気配はなくはない。その酒浸りのダメ男のどこか、気骨が
ありそうな、そのユーモアが強いていいうなら面白さだろうか。ソ
連の侵入、で現地召集っとなって戦車壕を掘らされるようになって
もそのいい加減な、といっていいのか精神性は変わらない。

 「おお、神様よ、親子ほど年も違う、天皇陛下と同年輩の木川
を殴打しようとするチンピラ見習士官に災いあれ!」など正直、
垢抜けない稚拙な文章が続くのだ。一番感じるのは洗練さが作品
にない、いくらなんでも、もう少し垢抜けた部分がほしいが、望
むべくもなかった。


 ともあれ、私は滑稽小説と紙一重のレベルだと思う。よく、「
飄逸味」といい褒め言葉で評される木山捷平なのだが、ちょっと
洗練さが欲しかった、なとは思う。



  2011年?笠岡市山口の木山捷平生家を訪問、撮影した画像

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この記事へのコメント

killy
2023年09月09日 08:47
旧制矢掛中学の作家については貴兄と同感です。
20年ほど前に、木山捷平の家の横を登ってボランティアで畑の草刈りをしたことがあります。私は1日したのですが、同行者が「柿をヤル」と言われ、本気で柿を採っていましたので半日です。今は耕作放棄地になっています。