顔パンツ国家、日本の哀しい末路

日本人の顔はパンツを履かせなければならないほどの、い
わば「恥ずかしい顔」、つまるところ「隠すべき顔」という
ことにあのパンデミック騒動は収束し、永続するという、ま
さしく「顔パンツ」国家、「顔パンツ国民」に堕してしまっ
た。感染症、呼吸器系感染症の予防も他人への感染抑止にお
いてもマスクに効果はないことは遠の昔からの定説である。
何よりマスクは不自然着用であり、自然の呼吸を阻害するこ
とは最大の弊害である。またマスクは顔を隠すことである。
もはや日本人の顔は隠すべき顔、・・・・・・
記憶にあるのは1983年、春の甲子園、選抜大会で優勝した
池田高校、投手は水野だった。捕手は井上知己、なかなか、
可愛い顔だった。卒後は同志社に進学、東芝府中で野球を続
けた、準決勝で明徳義塾の山本賢に抑えられていたが井上が
起死回生の逆転打、外野への飛球、私はちょうどその試合を
外野席で見ていたら、打球の真正面であわや、周囲の人は一
瞬間逃げていた、ホームランにはならず、
その井上捕手、「僕はこの顔でマスクで顔を隠さないと
いけない、顔を隠すなら江上ですよ、あの顔は隠すべきです
よ」
ちょっと思い出しただけだが、「あの顔は隠すべきですよ」
という言葉が印象に残った。
今の日本の状況だ、諸外国は遠の昔にマスクなどやめている
のに、まだ今でも周囲を見たら、店舗でも客の半分くらい、あ
るいはそれ以上かも、マスクである。また車の運転でも一人で
窓を締め切って運転でもマスク、である。正気とは思えない。
元来は周囲への同調、マスク強制圧力に従ったにしても、今や
真のマスクの意味は日本では顔パンツなのだから、日本人の顔は
隠すべきもののようだ。
女性はブスが隠せる、男性は髭を剃らずともいいいとか、メイ
クを怠ってもごまかせる、表情を読ませない、うちのクリニック
は2月からレセコンを変更したが、そのレセコンメーカーの営業
が二人、最初からマスク、未だに、だからその顔が今でも分から
ないのだ。マスクの顔の隠蔽効果は大したもので、これでメガネ
でも掛けたら完全に覆面である。
マスクに感染予防効果はない、だが行政、既成メディアも、
それを言い出す勇気がなかった、「まったく意味無し」そもそも
「新型コロナ」自体がコッホの四原則の遥か以前で、正式に分離
同定されてもいないから、存在は不明だ、だがその不明確さもメ
ディアは言い出す勇気がない。
もう顔はわからない、ミッドウェイ海戦後、ハワイで日本人捕
虜をみたアメリカ海軍、スプルーアンス中将が「日本人は世界で
一番容貌が醜い人種ではないのか」と感想を述べたという、日本
人としては愉快でもないが、ならば顔は堂々とますます晒すべき、
よほど容貌に劣等感がある、絶望している、あるいは表情を見ら
れなひそかな利のうま味にひたっている?もはや日本人の顔はパ
ンツを履かせるべき恥ずかしいもの、ということ、と思われても
仕方がないではないか、何でも習俗化しやすい、自信はない、
同調強制への抵抗力もない、・・・・・顔パンツ国家、国民で
いいはずはないだろう。感染予防、感染拡散抑止効果はない、と
メディアが堂々と言えばいいのに、それさえ言い出せない。怖い
のである。卑屈である。流れに抵抗できないのが日本のメディア
である。
顔パンツはもう永久化なのだろうか、そうかもしれない。
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