丹羽文雄『運河』1958,あまりに手なれた愛欲絵巻のバリエーション

今、どの程度読まれているだろうか、ほぼ読れないに近い
だろうか。1958年、昭和33年12月に連載から単行本で出てい
る。タイトルは聞いたこと、見たことがある人は少なくない
だろう。
一度結婚に失敗した画家の伊丹が、ファッションモデルか
らデザイナーとなった紀子と再婚、デザイナーとしての紀子
はわずかニ年で成功し、豪壮な家を購入、さらに自らの洋裁
学校を設立までいく。
それに引きかえ、伊丹は画家として不振を極める。評価さ
れないのだ、紀子に食わせてもらっている状態である。それ
さえ周知の事実だ。伊丹が所属の洋画の団体の審査員に推薦
されたのは、紀子の収入でその団体に寄付を期待したからで
ある。伊丹は徐々に妻に抵抗を感じるようになって、その思
いが伊丹をすねた気分に追いやって、ついには離婚話まで持
ちあがる。
といういつも通りかどうか、丹羽流展開だが、結局、万事
めでたしのハッピーエンドとなる。それは夫妻の破局を救っ
たのが、伊丹の先妻との間の子供、眉子という17歳の娘が「
時の氏神」となった。紀子を決して母と呼ぶことのない眉子
だが、父親の破局が迫ったとき、義母に同情的となる。そこ
で自分が義母より優越的立場にあると知ったとき、紀子を「
ママ」と呼ぶようになった。これが紀子を「時の氏神」と
したのだ。
冒頭は伊丹と紀子の初回の結婚記念日、新婚旅行で泊まった
熱海の同じ旅館で祝うこととした。その一回目は幸福そのもの
、第二回目からか険悪となった。三回目は離婚覚悟の二人が、
そレでも感傷的となって、自分ひとりでも最後の結婚記念日
と旅館に行って二人が出くわした。それでメデたし、で終わる。
雑誌連載だったというがあまりにの通俗小説だろう、しかも
本当に長編だ、500頁を超える。ストーリーだけでこれだけ書
くのは無理だろう。そこで丹羽文雄の編み出した手段は、登場
人物、個別に愛欲生活、情痴の場面を詳細に描くというものだ。
伊丹と女給(古い言い方だが)、眉子と中年男戸の長い付き合
い、旅館の女中や芸者との関係、伊丹の父の様々な情痴、伊丹
の腹違いの妹で尼僧となった秀子の愛欲の姿、そんなさまざま
の情痴の描写で原稿料を稼いた、という風情だ。「運河」という
タイトルも愛欲絵巻という意味だろうか。
愛欲、情痴の人間模様は丹羽は得意だ、お家芸だ、船橋聖一
のようだ。しかもらくらくとその描写が噴出のようで、・・・
となるとそのプロトタイプ、原型があるはずと思う。旅館を
寺に替えたら、『青麦』や『菩提樹』になりかねない。伊丹の
母親がでてくるのも、丹羽の「母もの」作品のパターンだろう
か。伊丹と先妻の経緯もお得意の「マダムもの」だろう、
あまりに手慣れた作家の甘口のカクテルみたいで、でも伊丹
の妹の尼僧も思いつきだろう。あちこちに親鸞の言葉の引用、
「人間はこんな馬鹿をやるように出来ている、罪と承知で罪を
犯す」・・・・・差しがプロの作家と思わせる、限られた原型
からちょっと趣向を変えて何でも書く、書ける、あまりに通俗
的である。
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