倉橋由美子『パルタイ』集団生活への疑問、違和感、女流作家として特異な個性の発露

倉橋由美子さんか、1935~2005,田原総一朗さんより一歳
上だな、あの年代は「戦争を知っている最後の世代」だと田原
さんが云っておられた。土佐山田の出身、香美市と現在は云う
らしい。家は歯科医、医学部を目指すも叶わず浪人、京都女子
大告文に籍をおいて受験勉強だが、やはり至難、東京の学校、
大学付属短大?歯科衛生士資格を取得、それで東京で衛生士の
バイト、その後明治大学文学部仏文、学生時代に書いた『パル
タイ』というが通常の学生の年齢より多少高い年齡で。
事実上の第一作『パルタイ』ドイツ語のParteiだろう、「党」
を意味する。主人公の「わたし」は若い女子学生、愛人の「あ
なた」に奨められ、革命党に入る手続きを始めながら、さも、
もっともらしい「経歴書」を書かされることに反発を感じ、ま
たその同じ仲間の学生の妙に熱狂的な雰囲気にも、連帯意識に
まったく違和感を感じてしまう。
労働者の中に学習サークルを組織する仕事にでかけ、「硬い
筋肉」労働者の一人とふと関係を持つ。「経歴書」は仕上がっ
て党の正式機関に提出されるが、「わたし」は妊娠し、それを
問いただす有力な学生活動家、党員のSとも関係する。その間に
組織への違和感は高まるばかり、やがて仲間たちとの合宿生活
で頂点に達する。
「食事から排便にいたるまで」の集団生活は、軍隊のようで
やりきれない。
「集団生活は、人間の持っている異臭に慣れることだ」と「
わたし」は考える。「わたし」は労働者も党員Sも愛したことは
ない。党を信仰もしていない。やがて届いたパルタイ員証を破り
捨てて脱党手続きを開始しようと決心する。
という具合の、党への違和感、状況で誘われて入党手続きした
がどうにも、気が進まない、やりきれなくて、脱党決意、という
物語だ。
とても虚無的で突き放したクールさ、だが内には一種の熱も秘
めていそう。抽象的な構図でもある。しかしお手軽な割り切りの
連続で、確かに「感銘」的な要素はない。正直、知的な割り切り
かたに倉橋さんが自己満足されているのでは、という印象もある。
集団の持ついやらしさ、その違和感、それはよくある話で見逃さ
れやすいテーマだ。集団的行動に流されやすい日本人の痛い部分
はついている。
これに続くような連作もある。『非人』、『貝の中』と続く。
共に集団生活を取り上げる。
しかし女流作家としての特異な個性はすでに明瞭である。やは
りもっと生きて書いてほしかった、という思いに駆られる。
1960年、明治大の夏休み、実家の土佐山田町に帰省中の
倉橋由美子さん
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