ソール・ベロー『フンボルトの贈り物』講談社、いたって玄人向きのアメリカ文壇喜劇,内幕もの
ロシア系ユダヤ人移民でケベック生まれ、のちにアメリカ
に移り、ピュリッツァー賞、あげくにノーベル文学賞まで受賞
したというソール・ベロー、Saul Bellow,1915~2005,なのだ
が、小説家、劇作家である。
ベローのよれば文学者にはニ種類あるという。プルースト、
ジョイスのように批評家、研究者の受けがいいタイプ、対して
ディケンズ、ドストエフスキー、ゾラ、ウェルズのように大衆
に向かい、語りかけるタイプ、民衆の意識の代弁者というタイ
プである。ウェルズがそうなのか、ちょっと疑問もあるが。
デベロー自身は自分を第二のタイプに位置づけている。だが、
この作品は確かに民衆に語りかける、いささか抱腹絶倒的な小
説なのだが、しかし内容は高度でもあり、かなりの玄人向けの
作品という印象も受ける。実際、日本人が読むとなると相当な
予備知識も必要だろう。あるいは第一のタイプではないかとも
感じられる。
つまるところ、この小説は、「フンボルトの贈り物」はベロー
流の文壇喜劇なのであるという。文壇といってアメリカの文壇で
ある。現在アメリカの風俗が戯画化されている。これを読めば
、「内幕」がかなり理解できる。アメリカの詩人が大学教授に
なろうとして、いかにあれこれ策を弄するか,ブロードウェーの
劇作家がどのていど、演出者の言いなりになるか、などが分かる。
文壇内幕を暴露の文壇喜劇、その方向性はモームの「お菓子と
ビール」等がある。モームの作品は全然難解ではない。日本人に
とってではなく、だが。だがベローの「フンボルトの贈り物」は
ふんだんに高度な知識が披露されている。その上での冗談めかし
た内容だ。つまり「文学から文学を作る」という方法論だろう。
いたってハイレベルな知識の上に立つおふざけ的な内容は、およ
そモームの「お菓子とビール」とは異次元である。ベローの文学
的知識はたいしたもののようで、それを適度の噴出させて、いろ
んな時代に行っては戻るという構成だが、その文章は淀みがない
と思う、翻訳だから、あ翻訳は大阪外語出の大井浩ニさんだが、
だから単純に上述のタイプに割り振れない埒というものだ。
この長編小説の語り手は、シトリーンという初老!の劇作家
である。彼はブロードウェーでも成功した世俗的著名人だが、カ
ンタービレというヤクザな男とかかわり、愛車のメルセデスを破
壊され、金をゆすられ、さらにその妻に協力しろと脅される。カ
ンタービレの妻は女子大で詩人のフンボルトについての論文を書
こうとしているが、容易に仕上がらない。フンボルトはシトリー
ンの先輩であり、自身が文学的な流行に乗った頃はシトリーンを
引き立ててくれたが、失意の状態になるとシトリーンを散々な目
にあわせ、貧窮に死んだという。
だがこれは物語の発端であるから、読み通すのは一生の難事か
もしれない。大井さん、昔は旺文社の「English Age」などにも
執筆?されていていたが、翻訳は真面目で勉強の成果!が活かさ
れているのではないかな。
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